ジャニオタが勉強してみた

生粋のジャニヲタが、人生のお勉強をするブログ

舞台「文豪とアルケミスト 戯作者ノ奏鳴曲(ソナタ)」の感想(R5.3.8追記修正)

【感想】
 「おださくの成長物語」と思わせつつ、観る人が無頼派の存在に「救われる物語」ではないか。
 つまり無頼派がキリストで、私たちが信仰者。ところどころにキリスト教要素が含まれているのは救いの物語だからなのかも。

 坂口安吾の「堕落論」を取り上げていることからも、この作品の本質は安吾の「堕落論」にあるんだと思う。人は弱くて脆い。些細なことがきっかけで他人を信じられなくなる。そして当然のように堕落していく。しかしその底辺から這い上がる力があるのが人間であり、這い上がる時にこそ価値あるものを掴むことが出来る。深い闇に堕ちても、何度でも這い上がることが出来る。そういった可能性や「救い」をキリストである無頼派が提示してくれる作品だと思いました。

 だって客席に向けて「堕落論」を朗読するんだよ?しかも、そのシーンで客席の照明が点灯するんだよ?あの言葉と光は無頼派や文豪達からの救いの光なのではないか。私はそういう風に受け取りました。
 それに、おださくと安吾のシーンで「(おださくが)キリストに見えてきた」というセリフもあったし。
 この作品は人間をありのまま受け入れてくれる「救い」の物語というのが、私なりの解釈です。


【様々な伏線や気づき】
・冒頭の無頼派の説明セリフ
 おださくが一発目のセリフで「無頼派とは:戦後文団の革命的集団。反権力、反体制、既成概念を批判し、時代の象徴となったひと群れの作家たち」と辞書的説明をするんだけど、これだけじゃ正直よくわからない。
 しかもおださくも、そんな大層なものじゃない、みたいな風に言ってるし。
 この独白があるから、観る人の頭の中に『じゃぁ、無頼派っていったいどんな作風なの?』とハテナが生まれる。
 結果『作品を集中して観てみよう』って思わせるように仕組まれてた。
 そして物語が進んでいく中でその曖昧な無頼派の思想が、徐々に明確化されていって、最後に確固たる形となって観る人に訴える流れ。ちゃんと『無頼派ってそういう集団なのか!』という答え合わせもきちんとさせてくれるし、ストーリーの作り方が上手いなぁと感じた。

無頼派プロレタリア文学
 無頼派における太宰治プロレタリア文学における小林多喜二。二人はそれぞれの支柱になる存在。その二人が不在だから、無頼派は脆くバラバラになってしまうし、プロレタリア文学蟹工船は侵蝕される。二人が不在というデメリットを上手く使って2本軸の物語にしていた。
 あと、おださくの「陽の目も当たらん人も生きててええねんで」と言うセリフは、プロレタリア文学における「搾取される側の人間」への言葉じゃないか、と思った。
 それプラス『憧れていた太宰から気にかけてもらえなくても生きてていいんだ』というおださくの自分自身に向けられた言葉なのではないか、と思った。
 文劇は文豪の作品だから、どうしても言葉言葉に『どういう意味があるんだろう?』って思いながら観劇してしまう。

・観客が舞台の一部
 客降りが出来るようになったのを活かして、ブルズさんが客席を船に、観客を船の乗組員に見立てていた。吉谷さんらしい演出。
 さっき書いた、朗読シーンで客席の照明が明るくなる演出は文劇3のオマージュだったし、こういう客席を巻き込んで初めて成立する吉谷さんの演出めちゃくちゃ好き。
 ちょっと気になったんだけど、布が綺麗に真っ直ぐになってた時と、上下逆になってくるっと一回転してる時があって、あれはブルズさんが持つ方向を間違えちゃったからなのかな?って思った。
(大阪公演を見た追記)大阪では演出が変わっていてうまく持てるような演出に変わっていたから、あれは意図したものではなかったことが判明した。

蟹工船
 文劇6で蟹工船を選んだのはいろんな理由があると思ってる。
 1.国家主義を否定する作品を館長が潰したかったから。
 2.ストーリー展開が一緒だから。
 ※蟹工船は虐げられた自分たちを解放しに来てくれたと思った帝国海軍により逆に連行されるのね。今作では、前半部分でしげじが「話し合おう」って言って裏切られるし、後半部分でも潜書した自分たちを助けに来てくれたと思った白秋(の姿をした館長)に裏切られてた。
 3.文劇3の太宰を彷彿させるから。
 ※指示に従順な乗組員と、文劇3で最後まで抗い続ける太宰治の対比も描かれていた。
 4.ストライキの成功と失敗が一緒だから。
 1度目のストライキ=「不良少年とキリスト」の潜書は失敗に終わるけど、2度目のストライキ=おださく覚醒後は成功するが絶筆者も出る、という点も似せてるのかなと思う。
 演出としては、蟹工船の侵蝕シーンと無頼派の語らいシーンを同時に進行させることで、より一層2つのシーンの対比が表現されていた。しかもこのシーンで太宰やオダサクがプロレタリア文学の「文学で社会と戦う」姿に憧れてたという事実も語られるし、ここのシーンは流し見しちゃいそうだけど、結構重要。
 こんなに伏線を含ませた蟹工船を選んだなるせさん、天才か!

・ぎゃわずの存在
 
心平が「蟹工船」に潜書したとき、ちゃんとぎゃわずも乗組員に襲い掛かってる。その時、乗組員が頭を押さえ洗脳が解けたような、ほんの一瞬、正気に戻るような演技をブルズさんがされるの。あのシーンがあるから、後半に出てくる「青春の逆説」の館長死闘時に、ぎゃわずだけ洗脳が効かなくて、光の玉を壊す伏線になってると思った。

・しげじの優しさ
 
しげじが乗組員と戦っている時、やられそうになる乗組員が恐怖に怯える表情になるの。それを見たしげじが仕留めるのを躊躇するシーンがあって、結局他の乗組員に後ろから斬りつけられて、恐怖に怯えた乗組員からもやられるんだけど、あそこはしげじの優しさが垣間見れたシーンだなと思った。しかも、その後のラスボス戦で、しげじの優しさゆえにとどめをさせないから、結局自分やすなおを傷つけてしまうという、伏線にもなってるなと思いました。

・おださくの孤独
 「蟹工船」から戻って来た檀を含めて、無頼派の三人で話をしているシーン。配信ではセット上段、補修室にいるプロレタリア組がカメラで抜かれている裏で、セットの上手側階段下では無頼派三人がずっと昔話に花を咲かせているところは現地に行った人は見てほしかったポイント!最初は三人でわいわい話してる(おださくが檀に質問して、それを安吾が聞いて補完している感じ)なのが、安吾と檀が盛り上がり始めたあたりから、少しずつおださくの反応が鈍くなって、表情が翳ってくるのよ。そしてそっと腰を上げて、ほんの少しだけ二人と離れたところに座り直す演出がめちゃくちゃいい!おださくの孤独を感じられて非常に良いのです!!
 照明が当たらないから前列でないと三人の表情までは見えないのが勿体ないぐらいの陳内さんの演技でした。東京初演では気づかなかったから、どこかでここの演出は足されたのかな?それとも東京初日からあったのかな?

・最後の晩餐
 1回目に「ダヴィンチスタイルの最後の晩餐」って言ってセットが運ばれてくるときに、イヤな予感がしたんだよ。舞台セットにも「不良少年とキリスト」ってあったし。
 それに白秋の登場タイミングも一人だけ後からで、初日に見た時、私ですら違和感を感じました。だって、白秋ならもっと最初から出るはずなのに、開演後30分過ぎてから登場するなんてタイミングが遅すぎるな、と。
 きっと檀も白秋に対して最初から違和感を持ってて、そこであの食事シーンで鎌をかけたんだろうなぁ、と思った。
 「鰻の蒸籠蒸しもお好きなんですよね」って振った時の反応を見た観客が、『ん?白秋さんがなんかおかしいぞ』っていう違和感をここで植え付けてくるあたり、ストーリー展開が上手いよね。
 2回目の食事シーンではちゃんとブルズさん含めて13人いて、白秋がユダのポジション(左から5番目)に座っているのも凄くこだわってて好き。

・館長のヒント
 白秋さんは館長の思念なのになんで「侵蝕者は会派の合流を阻止する」っていう、相手にとってのヒントを与えるんだろうってずっと疑問だった。
 でも、このセリフを入れることで、観る人に『今後、会派を離れ離れにさせるのが侵蝕者のやり口か』って思わせるためだったんだろうね。館長、ヒント与えるなんて優しいじゃん、って思ったけど、館長は性格が悪いので、ヒントを与えてその反応を見て、今後の殺し方を考えて楽しんでたのかもしれない。

・館長の計画性
 安吾を真っ先に狙うの計画的過ぎる。だって、安吾とおださくを離れさせて、おださくが精神的に弱っている隙をついて、疑念の種を植え付けてくるんだよ?安吾があの場にいたら「檀も無頼派に決まってるだろ」って笑い飛ばしてるはずなのに。太宰とは別の意味で無頼派の緩衝材的として一つにするのが安吾の役割だと思った。その安吾からおださくを離れさせるために、しかも安吾やおださくの精神的支柱である太宰について書かれた作品を侵蝕するなんて。そんなんされたら無頼派バラバラになってしまうやん。やり方が計算されすぎてて酷いし怖すぎる。知恵をつけすぎだよ、侵蝕者!

・文劇6と3の嗜好品
 ずっと公式さんがアップしてた、白秋さんがバー「ルパン」でお酒を飲む写真。観た人ならわかると思うけど、白秋さんがあのグラスで飲む写真のシーンは存在しないのね。だからずっと違和感があったんだけど、吉谷さんが「レア写真」って言ってたので、途中で演出を変えたんですね。
 嗜好品という観点から文劇3にも言及すると、3ではマウスシールドがあるからヘビースモーカーの芥川が煙草を吸えないというちょっとコミカルなシーンがあります。でもあそこはコミカルに見せかけて、実は奥深いんじゃないかと思ってる。文劇3のブログにも当時書いたけど、あのシーンは「嗜好品=エンタメ」を国が否定する暗喩なんじゃないかと解釈しています。
 だから館長も恐らく嗜好品であるタバコは一切吸わない。なのにおださくと同じ嗜好品であるお酒を飲む写真はやっぱり違和感があるので、演出を変えてくれて解釈が一致した。
 上記の理由から、白秋が飲んでいたのは嗜好品のお酒ではなく、キリストの血である葡萄酒(=文豪の血かも)を呑んでるんだとしたら、館長、相当、悪趣味…

檀一雄
 今作における一番重要人物。料理も出来て男気もあって危機管理能力も高い。マジスパダリ。でも太宰や安吾と仲良かったせいで陥ってしまう悲しい状況は観ててつらかった。
 おださくに犯人扱いされた檀が安吾に気持ちを吐露するシーンは、周りから異端児扱いされる檀にとって、安吾は自分を理解してくれる大切な人なんだな、っていうのが伝わってきた。あのシーンの赤澤くんの演技が上手いんだわ。
 太宰にも先に逝かれ、おださくと安吾と出会ったのに二人は絶筆するし、檀の役回りが辛すぎる…檀に感情移入して見たら、また違った見え方ができる作品になるんじゃないかと思った。檀視点の物語を観てみたいかも。文劇5の久米正雄から見た芥川みたいな感じで。

・晩餐のテーブル=棺桶
 13人が食卓を囲むシーンでは、既に3人の無頼派がバラバラになっている状態なので、テーブルが3卓出てくるんだと思う。白い布に包まれたあのテーブルがどこからどう見ても、棺桶にしか見えないのよ。そして「不良少年とキリスト」「青春の逆説」が侵蝕されたときは、常に並べられているテーブルが2卓なんです。あれはテーブルであり、なおかつ館長が準備した棺桶だと自分なりに解釈している。

・飛び出るナイフとフォーク
 テーブルと言えば、安吾が投げたナイフとフォーク。おださくが幻覚に溺れ、白秋さんに銃口を向けられた時に、安吾が助けるあれです。友達がずっと「あの仕組みがわからない」と言っていたので、何度も足を運んで私も注視してみました。
 結論としては、小さな穴が空いてて、そこから高速で飛び出る仕組みになってるっぽい。前列に座ってしまうと前過ぎて見上げる感じなのでよくわからないけど、後列に座ってガン見したら、その二つのヵ所だけ微妙に茶色っぽくて、細工が施されているように見えた。安吾は二刀流だから、ちゃんとナイフとフォークを両方投げる辺り芸が細かいなと思いました。配信でもブルズさんの動きとカメラワークでうまく隠してるけど、穴が開いてたね。

・青春の逆説
 「青春の逆説」がこの作品で出てきたのは、豹一の成長とおださくの成長を重ね合わせているからかな。だとすると豹一の女性不信はおださくにとっての檀への不信感。豹一に子供が出来て父となったことで女性不信が無くなったことは、つまり、おださくにとっての檀への子供みたいな嫉妬心が無くなって大人になったってことだと解釈した。
 あと、考えられるのは、国が発禁にした作品なのにまた存在しては困ると判断して侵蝕したってことですか?
 ここのシーンでブルズさんが白い布を抱きかかえてるんだけど、それが赤子のようで、文劇3で中也が白い幕を亡くなった赤子に見立てて大事に抱きしめるシーンを思い出しました。

・文劇3と文劇6
 館長の思念が白秋の形に化けて蘇ったのはわかるよ。
 わかるけどさぁ、3で白秋さんのあの、あの、セリフを!あのシーンと全くおんなじ描写で、館長の最後を描くのエグくない?
 3との対比なのはわかるけど、同じビジュアルの白秋さんだから、心がぐちゃぐちゃにさせられたよ。
 佐藤さんの演技力が凄すぎた。佐藤さんの演技力と言えば、館長の時と最後に出てくる本物の時の喋り方が絶妙に違うのも素晴らしかったです。
 館長の時は、セリフがぼんやり靄がかかったような話しぶりで、あの特徴のある語尾も流し読みみたいになってるんだけど、本物の時は言葉が立っていてキレがあるし、語尾もしっかりしていた。すごく聞き取りやすくて『これぞ北原白秋!文劇3で出会った白秋先生だぁぁ』ってなった。会場だとわからなかったけど、配信だとしっかりマイクで音を拾うからすごくこの違いが分かりやすかった。
 あとねぇ、館長との戦闘シーンで文劇3のテーマソング流す演出、誰が考えたよ?あの曲を聞いた瞬間、3を現地で見た衝撃と光景が呼び起されて、地獄に突き落とされたわ!
 勘弁してくれ……好き過ぎる(笑)
 細かい演出で好きな点としては、文劇3で嬲り殺す闇の中のかまいたちとして表現されていたライトセーバー。今作でもライトセーバーで切り刻まれておださくが致命傷を負うあたり、館長の存在を感じさせた。しかも檀が使っている剣を模した形で攻撃するのが、また悪趣味…
 「青春の逆説」が侵蝕される時に、赤い紐が使われているのも文劇3を彷彿させたし、文字にまで絡みつくように紐が巻き付けられることで、そこまで侵蝕が進んでるんだ、と感じた。そのうえまさか、痛めつけるための小道具になるとは…ね。吉谷さんがパンフレットでも書いてたように、文豪が傷付けられればられるほど、観る人は昂るのをよくわかってらっしゃる。
 それにしても、館長を白秋の恰好にして登場させるのは、なるせさん、上手いトリックだなぁと思った。だって、文劇3の白秋さんと言えば「善」の塊みたいな人。最後まで己の信念のために、文化芸術を守るために館長と戦った人。その人がまさか館長だったとは思わないじゃない?観る人の「白秋さん=善人」という無意識の刷り込みを利用したストーリー展開だなぁと思いました。

・文劇3の影
  これは大阪でじっくり見て把握できたのですが、最初に白秋が登場するとき、ブルズさんが左右で土下座のお辞儀をしています。おそらく室生犀星萩原朔太郎を意識してるのかな。文劇3に出ていたそれぞれのキャラの武器をブルズさんが持ってて、白秋が出てきたときおださくと安吾にその武器を向けるのね。最初は白秋先生が文劇3で戦ってたときの説明をしているから、その補完だと思ってました。でも、まさかその時から白秋先生が館長という伏線が張られていたとは…
 しかも「青春の逆説」で白秋に扮した館長が潜書してきたときに出てるブルズさんの影よ。初日観た時は『乱歩と中也がいた』ぐらいにしか気づけなかったけど、しげじには煙草をふかした芥川先生と鞭を持った乱歩が。直にはアクロバットする犀星と両手持ちの朔太郎が。心平には帽子を被って酒瓶を持った中也が、攻撃を仕掛けてるんだよね。しかもこの時、檀は「無頼派でもない、帰る場所もない、ただの根無し草なんだよ!」って言ってるところから、本来仲間であるはずのおださくと安吾と太宰の影に攻撃を受けるの辛すぎる。

・館長と無頼派
 「堕落論」が気になり過ぎて、概要だけですが通読しました。戦時中の統制から解き放たれて堕落し、そこから個々の力で這い上がるのが人間の本来の姿(意訳)みたいなことが書かれていた。
 全体主義で国家の概念を持つ館長と、個々の力を信じる無頼派とはそりゃ相容れないわな。

・太宰とおださく
 「織田くんの死」については、何度も繰り返し読みました。舞台の前半でおださくが子供みたいに檀と太宰の関係に嫉妬する姿を丁寧に描いていたから、太宰のあの手紙を聞いて、おださくが大人になり一歩を踏み出す(自我を取り戻す)のがよりカッコよく見えた。
 「不良少年とキリスト」に潜書して、おださくが太宰の幻影と戦う時、あのシーンで読まれる文章は「織田くんの死」にはない文章なの。太宰はおださくのことを『哀しい男』と表現していたのに、あのシーンでは『明るいおださく』という表現をされていたので、あの太宰は侵蝕者が化けた幻影ということがわかった。でも薬物で幻影を見ているおださくには分からないのが観ていてつらい。

・圧倒的太宰の存在感
 檀が太宰の事を想いながら館長と対峙するのと同時軸で、堕落に堕ちた安吾とおださくのやり取りが進んでいく。両方の時間軸を同時に見せるのが吉谷さんらしい演出だなと思った。
 しかも、檀も安吾とおださくもみんな太宰の事を想っているから、二つのシーンで両方から太宰への思いが溢れてくるの。とにかく太宰への情がすごいんだよ。太宰がいないのに太宰の圧倒的存在感を出す魅せ方がうまい。

・熱海事件
 檀一雄と太宰といえば、あの熱海事件!これを取り上げてくれたのが嬉しかった。あと二人の心中事件は、安吾の「不良少年とキリスト」にあるフツカヨイに繋がるのかな。そして、安吾曰く太宰は誠実な男なので、フツカヨイ的な心中相手におださくは選ばなかった。それが「織田くんの死」を読んでなんとなく察することができた。「織田くんの死」はすぐ読めるから、未読の人はぜひ読んで欲しい!「不良少年とキリスト」も短いので、よければこちらもぜひ。

・元気マシマシドリンク
 おださくが飲んでたあのドリンクは、史実的にどう考えてもヒロポンでは?心平も「それ、飲んじゃダメなやつじゃ」って言ってたし、幻覚が見えるのも副作用なんだよね。安吾は史実でもその事実を知ってるので、二人のシーンの時にだけあのドリンクは登場するんだと思ってる。
 あと「青春の逆説」が侵蝕されて、下手側の階段を降りるときに飲み「五臓六腑に染み渡るー!」って言うシーンの時。あれ、ほんとに中にお水か何か入ってるんだね。飲んだ後のセリフを言う時に、口から水が零れ落ちる事で、おださくの薬物中毒っぷりが生々しく表現されていた。あの描写があるから、その後の堕落して、幻影に魅せられる姿がよりリアルなんだと思う。

小林多喜二の最後
 史実では「特高警察による拷問死」と書かれていた。一撃ではなく嬲り殺す様子は館長のやり方と一緒だったし、特に下半身が悲惨な状態だったらしく、しげじが「下半身の感覚がない」と言ったのは、多喜二に似せて拷問みたいに攻撃されたからか、と思うと史実に基づいた描写で制作陣のこだわりが凄いな。
 あと、館長と言えば赤い紐。史実でも「首にはひと巻き、ぐるりと細引の痕がある」って書いてて、しげじが真っ先に館長特有の赤い紐で締め付けられてたのはここも意図した演出なんだなと思った。白秋さんの首から下げた紫の紐も最後には赤になるし、館長の性癖をバチバチに感じる。

・客席の照明が照らされるタイミング
 「堕落論」を朗読するシーンと最後の「文学がある限り~」を客席に向かって訴えかけるシーン。文劇3で朗読するときに客電がついて光が差し込むシーンのオマージュだなと思った。観客が「蟹工船」の一部になったのもそうだし、観に来てる観客もちゃんと舞台の中の大事な役割を担っていて、観客が入って初めて成立する舞台。
 文豪たちが言葉を届けることで、観る人の心に希望を生み出すのは、まさしく文劇らしいなって思ったし、この演出は劇場に足を運んだ人しか体験できない、たまらん演出でした。やっぱり舞台は生が良い。

・「不良少年とキリスト」の浄化
 おださくが安吾に太宰のマントを被せて「不良少年」「キリストに見えてきた」のやり取りがどうしても違和感しかなくて理解できなかったの。唐突過ぎやしないか、と。でも吉谷さんのnoteを見て納得しました。「不良少年とキリスト」が浄化成功したことをあの粋なやり取りで表現してたのか!私は勝手に、安吾が堕落した先で「織田くんの死」を読んで、太宰の記憶を思い出した=浄化は成功した、と思ってたんだけど、そういうことね。詳しくは吉谷さんのnoteをご覧ください(笑)
 https://note.com/koutaroh_/n/nb7b30b585fdd

・ブルズさんの功績
 安吾鍋&心平粥や檀流クッキングのくだりの時に、セットの上段でやり取りするアンサンブルさんの動きがすごく好きなの。配信だと檀が抜かれるから映ってなくて悲しいけど、現場だとついついそこに目が行っちゃう。おどろおどろしい侵蝕者を演じた後にコミカル調の演技をするブルズさん。布や武器も操り、セットにもなり、文豪の心情も表現するブルズさん。やっぱり吉谷さんの舞台にはブルズさんがいてこそ成り立ってる!開演前と後のアナウンスがブルズのまっちーさんがやってると聞いて、開演前から我々は侵蝕されて、観劇後も侵蝕され続けているのか、と気づき世界観の作り方が素晴らしいと思った。

・最大の謎
 本物の白秋先生は一体誰を待っているのか。いつまで絶筆した文豪たちを導いてくれるのか。それが文劇7に繋がるの?いや、でも3のあとの4は全く別世界だったし、6で一旦点を置くのであれば、7はまた違う切り口になるのかもね。自然主義も深堀りして欲しいし、白秋さんだから詩人組も見てみたい。

・個人的に好きなセリフ
 オープニング直前でおださくが言う「堕落にかて、それなりに意味はあるんやで。なぁ、安吾」のセリフが好きすぎるんだが!ストーリーを知ってからだと、この言葉の深さに胸がギュッとなるし、そして、語尾の「なぁ、安吾」がポイントなの!
 最後に出てくる、安吾と檀が背中合わせでおださくを想う回想シーンの「なぁ、檀」とリンクさせててヤバくない?無頼派の絆を感じられるめちゃくちゃいいセリフだと思った。

 

【細かすぎる好きな点】
・おださくと安吾が飲むお酒
 中原中也が飲んでるお酒には特にラベルがあるわけでもなく曖昧なのに、二人が飲む日本酒にはきちんとラベルに「越の露」って書いてたの。前列に入った時にガン見した。それで気になって調べてみたら、安吾の親戚が「越の露酒造」さんというところで、時期によっては今も安吾ラベルの「越の露」という日本酒を販売しているらしい。今すぐ吞みたい!!
 あそこでお酒を酌み交わす二人のやり取りが日によって毎回若干変わってて、個人的にはどっちかが『もう瓶にお酒が残ってない』みたいな動きをしていて、どっちかが自分のグラスに入っているお酒を分けてあげる日替わりシーンが好きでした。
 ってか、その二人がはけていく時、光る球を安吾が触ったら光が強くなったの。潜書してるプロレタリア組+檀&心平と、堕落してるおださく&安吾との対比がうまく表現されているなぁと思った。

・檀の握りしめたこぶし
 おださくが檀のことを裏切り者だと思い込んじゃってる中、「青春の逆説」が侵蝕されてしまうシーン。檀は潜書しておださくと無頼派を助けたいのに、その直前のシーンでおださくと言い争いになったから、おださくは自分に潜書して欲しくない。その檀の中にある葛藤が、強く握りしめられた拳で表現されてました。赤澤さんの細やかな演技力がすごいなぁと思った瞬間でした。もちろん偽白秋との戦闘シーンはすさまじいんだけど、こういうちょっとしたシーンできちんと演技される方なんだなぁと思いました。

 

【大千穐楽の感想】
 陳内さんの演技が、いつも以上に一層こまやか。かつ大胆になってた。笑うシーンは全力で振り切ってたし、怒るシーンも迫力が桁違いだった。個人的に一番良かったと思ったのは潜書するシーンで『怖いし、不安。けど、戦う』という微妙な心の機微を、絶妙な表情と動きで表現されていた点。あの複雑な感情が今まで観てた中で一番うまく表現されていたなぁと感じました。
 それに、悲しみや不安を抱えつつ、太宰の面影を追い求めながら成長していく姿がめちゃくちゃ伝わって来たよ。

 あと、椅子が…すなおくんが間違えて?晩餐の時に最後の武器に使う持ってきてはいけない椅子を持ってきてしまい、その瞬間壊れて、おださくに笑いながら怒られつつ、こそっと壊れた椅子をもって裏にはけて行ってたよ。
 それがあったから、最後の椅子で戦うシーンでは、なかなか椅子が壊れなくてちゃんと椅子が壊れるのかヒヤヒヤしながら見てしまった。あそこは椅子が壊れるタイミングによって安吾とおださくのやり取りがその場その場で日替わりになる阿吽の呼吸を感じられて好き。

 最後の各キャストさんのコメントについては敢えてブログでは書かないようにします。配信や円盤を見て素敵な座組だったんだな、と感じてください。私はあのみんなで支え合ってるコメントを見て泣いたよ。ちなみに配信でもちょろっと映ってたけど、マヒロさんの異変にすぐに佐藤さんが気づいて、隣の赤澤さんに声かけて教えてあげてた。
 それと、拍手が鳴りやまず最後の最後に陳内さんが登場してくれる時、佐藤さんも上手からちょろっと出そうになって、後ろを振り返って誰もいないからすぐに引っ込んだのも現地でしか気づけない点だと思うので記しておきます。

 

【東京初日から大阪にかけて変わった点】
・鰻の蒸篭蒸しシーン
 檀がカレーをふるまって白秋さんに「鰻の蒸篭蒸し」の話をするとき、東京だと上手の椅子に座ったままだったのが、白秋さんの後ろに立って話しかけるようになってた。おかげで白秋に疑いを持つ檀の表情がよく見えたし、動きを付けることで観てる側も『ん?』って印象に残ったシーンに昇華されてた。座ったままだと、どうしても上手側の座席の人は檀の疑念を持つ表情が見えなかったからありがたい。

・布の使い方
 私が『あれは演出なの?』と疑問に思っていた、布のくるんと一回転するのが無くなってた。東京では布をかたまりの状態でブルズさんが持ってきて、舞台上で広げてた気がするから、持ち手が逆になっちゃうときがあったんだよね。でも大阪では各々が最初から布の端をもって舞台上に出てきていたので、上下逆に持って一回転することがなくなってました。
 そして客席を海にする表現。東京のステラボールだとセンブロの横を布を持って歩くだけだったのが、大阪ではセンブロの上を布が通っていく演出に変わってた。
 大阪初日、センブロ2列目だったので、いきなり頭上を布が通って行って何事かと思ったよ。でも2回来るから海に潜った感じがしてめちゃくちゃよかった。後列に入った時に全景を見てたら、結構後ろの通路まで布をもったブルズさんがやってきてて、客席が船になり、観客が乗組員になる臨場感や没入感が出てすごくよかったです。吉谷さんの演出好きだ―。
 あと、個人的に森ノ宮ピロティホールで好きなのは、侵蝕されたときに、本の文字が横の壁に照明で照らされてぐるぐるしながら消えていく演出が凄く好きです。あれはピロティ、しかも中列以降にしか入らないと体験できない感覚。

・おださくが太宰に心中を誘われなかったシーン
 拗ねたおださくに安吾が「おださくは生きて生きて生きたかったじゃねーか」って言うところ。あそこ東京でも心臓の部分押さえてたっけ?史実ではおださくは自殺じゃなくて結核で亡くなったのね。だから生きることへの執着があったんだと思う。そして太宰の「織田くんの死」を朗読することで、その生への姿が後半に描かれているのもいいし、生きたがっていたおださくが堕ちた先で、首つり自殺しようとする描写も、うまくこの前半部分の回収となっていた。
 しかもおださくが堕ちても、安吾が「生きてるか?」と声をかけたことで自殺を思いとどまるのも凄く好き。おださくが堕ちても、安吾が精神的に助けてくれるし、檀が物理的に助けてくれる。そして太宰は1番の理解者として存在する。

 

 最後にこれだけ言わせてください。
無頼派サイコーかよ!4人が出会うのを待ってます」

 

【3/3 アフターイベント@白樺派レポ】
 興奮気味に登場する谷さんと杉江さん。 
 杉江さんはセットに登って「いいだろー。出てないのにセットに立てるんだぞ」みたいな風に観客にマウント取ってきて、それを大人しくさせようと連れてく(連行する)谷さんのコンビが、大好きな白樺派を垣間見た感じで凄く嬉しかった。 
 その後、杉江さんがうろうろしないように谷さんが椅子に座らせるんだけど、そのせいで足元の水が溢れてしまい、あわあわするお二人。 
 2列目センブロから見てたら、ペットボトルのキャップの部分に穴が空いてて杉江さんのはブルーのストローが刺さってた。 ちなみに事前にスタッフさんから「水に注意してください」と言われてたらしい。『そういうことかぁ』と理解されていた。 司会役の陳内さんは水が不安なので準備してない、という話から、谷さんの文劇愛語りが始まる。 
 杉江さんが話し出そうとしても、谷さんがめちゃくちゃ熱く陳内さんに語るから業を煮やして「もうっ、さっきから俺が話そうとしてるのに谷やんばっかり。しかも質問に答えてないし」みたいな風に言うのがめちゃくちゃ可愛かった。 谷さん曰く「ちゃんと1から5まで全部繋がってて6なのがすごい!」って言ってて、館長が今回の文豪達を嬲り殺す方法が3のキャストの影なのも指摘されてて、さすが文劇愛に溢れてると思った。 
 谷さんが陳内さんに「あれだけ動いて元気なのすごい」って言ってたのに「十数公演やってるから」とサラッと言ってのける陳内さん。只者じゃないオーラがすごかった。 
裏を返せば谷さんと陳内さんは同い年なので、文劇2をやった時は陳内さんより谷さんは若いはずなのに、相当しんどかったんだな、というのを感じられた。 
当時のカテコのコメントでも「しんどい時こそもう一歩」って谷さんはよくおっしゃってたし、文劇2が至上主義の私は当時のことを思い出して、泣きそうになってしまった。 
 元気マシマシドリンク飲んでる疑惑になって、オダサクじゃなく陳内将が飲んでたら大変ってくだりから、やっぱりブログで考察した通りあれは公式でもヒロポンなんだな、と思った。 
 小坂くんの日替わりネタ話。 
 2人とも頑張って理解しようとしたけど「昨日のご飯を明後日決める」って言われて、さすがに理解できない、小坂くんはそういう子。天然って言ってた。 
谷さんが「小坂くんは天然で、大志は養殖」って言ってて、怒る杉江さんが可愛かったぁ。 それに杉江さん顔ちっちゃ!隣に座って仲良くなった方も言ってたけど、ふわふわ髪型のせいか、顔が豆粒でした。
 今でこそ話せる裏話。 
 谷さんも杉江さんも無くて笑った(笑) 
 けど、文劇2推しとしては、めちゃくちゃ聞きたい質問だったよぉ。 後からでもいいので思い出したら書いて欲しい。 
 吉谷さんについて。 
 杉江さん曰く「椅子に座ってない。立ってる。(恐らくミザンスの時、少し動いて、また少し動いて、もう一度動く動作を真似し)結局同じところに戻ってる」って言ってた。 あと、効果音が多い。シュバーンなど。文劇2の時はドクンもあったけど、文劇6ではドクンは無かったらしい。 
 谷さんと佐藤さんの関係。 
 谷さんが文劇3を観劇しに行ったらあまりに凄くて、佐藤さんに長文LINEを送った上、3が良すぎてまた観劇しに行って佐藤さんにLINEしたらしい。そしたら佐藤さんから「今日、来るんですか?」と面倒臭そうに言われて、谷さんも「(アフト出るんだから)そりゃ来るわ!」ってなった話をしてたら、杉江さんが「いーなー。仲良しアピール。そういう風にすればいいのか」みたいなちょっと拗ねて羨ましがる感じだった。 
 佐藤さんのギア。 
 お二人とも「佐藤さんの戦闘シーンがすごい。計算されてる」っておっしゃってて、杉江さんも「今までが100だとしたら、(最後の無頼派とのシーンは)120%だもん。ギア一段上げてきてる」って言ってた。確かに観ててあそこの盛り上がり方はほんとやばいと感じた。 
 陳内さんとマヒロさんの関係。 
 陳内さんがマヒロさんの紹介をする時に、谷さんはカエルポーズ(それはましろさん)、杉江さんは「袖のない…」(それはそりさん)でお互い違うキャラをあげたうえ、陳内さんが優しく説明してくれてた。けど、杉江さんは「マヒロが2人いるの?」と混乱されてて、手を使って「マヒロとましろ」って理解されてた。 マヒロさんは大阪の方らしく、東京公演から日にちが空いたので、陳内さんはマヒロさんに大阪弁指導をうけてたとのこと。 
 オーディオコメンタリーの話。 
 谷さんが「俺、みんなと一緒に見たいもん。そんで一時停止して、ここがこうだったよね。って感想を聞きながら見たい」って言って、そこからオーディオコメンタリーの話になり、観客からめちゃくちゃ大きな拍手が上がったので、ぜひ公式さんは特典でつけてください。お願いします!やっぱり谷さんは文劇を愛してくださってて、我々オタクの代表みたいなとこあるから推せる。作品ファンとしては、キャストの方が作品を愛してくださってるの、めちゃくちゃ嬉しい!! 
 白樺派の話。 
 谷さんが「無頼派カッコいい、白樺派も里見弴が揃ったから4人でやりたい」って言って全力で頷いて拍手したよね。 陳内さん曰く「名前(三羽烏アタック)はダサいけどね」って言うのに対し、谷さんが「俺らは双筆神髄か」ってサラッと出てくるの、舞台ではこのセリフないからちゃんとゲームもやってらっしゃるんだなぁって思った。 
でも4人なのでどうしようってなった時に、杉江さんが「ダンゴムシアタックでよくない?ダンゴムシがころがってんの」って言ってて、谷さんの杉江さん回収が大変そうだった(笑) 
 椅子の話。 
 「あの椅子どうなってるの?毎回同じ椅子なの?」という質問に対して、陳内さんが「簡単には取れないようにはなってるんですけど、力を入れたら壊れるようになってます。その日によって壊れるタイミングが違うからそこはアドリブで」みたいな風に言ってました。確かに公演ごとにあの椅子が壊れるタイミング違ったし、その場その場で対処する小坂さんと陳内さんの阿吽の呼吸が観れるのも舞台ならではだなぁと思った。 
 【ベルの音が鳴る】※〆る合図 
 谷さんが陳内さんのブーツに興味を持ったみたいで、見せてもらってた。 特注で作ってくれてるけど、めちゃくちゃ滑るらしく、文劇1?2?のゲネプロで谷さんはめっちゃ滑ったとのこと。 
 そういうの、そういうのを、さっきの裏話でもっと聞きたかったぁ。結果、裏話が聞けて良かった! 
 機材の関係で私の座席からは少し見えにくかったんだけどヒールがあるから、動きにくそうだった。 陳内さん曰く「運動靴の方が動きやすいけど、覚醒して運動靴で出てきたらカッコ悪いやん?」とのこと。確かに。でも出演された方から見ても動きにくい衣装なのに、あそこまで動けるの凄すぎるー。 
 谷さんだからこそ出来る視点のご質問ありがとうございます。 
 【ベルの音が鳴る】※〆る合図2度目 
 杉江さんがベルの音に反応して「チンチンチン、武者」のやりとりを思い出して言ってくれたの嬉しかったなぁ。 文劇のあのシーンめちゃくちゃ好きなので! 
 杉江さんが「明日も見にくるよって人」「明後日も見にくるよって人」って手を挙げるよう言ってて、やたらと「後2日しかないんだよ!もう2日しか観れないんだよ」って熱く語ってた。 そこからの司会役陳内さんの「大志が言ってくれたけど、外ではリピーターチケットも販売しております」の流れがよくできてんなぁと感心しました。 
ここは流石に打ち合わせした?  
 
【3/4 アフターイベント@無頼派レポ】

 小坂さんの天然ふわふわ司会っぷりに、会場の雰囲気が終始めちゃくちゃ和やかでした。 まず最初に小坂さんが司会のボード持って出てくるんだけど、トイレに行ってるお客さんがたくさんいてて「ゆっくりでだいじょぶだから」みたいな風に一人一人遅れてきたお客さんに柔らかく話しかけてて、これが小坂さんの性格なんだなぁ、って思った。しかも陳内さんと赤澤さんの登場を促す時に「陳内将役の…」って言っちゃうし、どっちから2人が出るかわからなくて上手と下手をキョロキョロするのも可愛かった。  2人も「安心して任せていいの?」って言ってたし、赤澤さんも「司会変わろっか?」って心配してるのも3人らしいやりとり。 
 なのに、赤澤さん、自己紹介の時に「だんかじゅお」って言っちゃって、陳内さんに「ガジュマルみたいなの出てきたね」って突っ込まれてた。 
 マチソワ間の話に。 
 東京以来、久々の2回公演。 3人とも一回感情をリセットしないとできない。赤澤さんの手の動きがガス栓を占める動きで陳内さんに突っ込まれてた。 
 陳内さんと赤澤さんは2人楽屋だけど、陳内さんがうるさくて眠れないらしい。陳内さんも寝てる時もうなされてて、うーうー言ってて自分の声で起きたら、赤澤さんがいびきかいて寝てた、って言ってた。 それくらい大変な舞台なんだろうなぁと思いました。 
 お客さんに見て欲しいシーン?頑張ったシーン? 
 ※小坂さんの説明がふわふわしてて頭に入ってこない(笑) 
 赤澤さんは、後から文劇キャストとして入ったので、元々自分はみんなと打ち解ける性格だけど、それだと檀のポジションと違うので難しかった、みたいな話。
 陳内さんは太宰治の影を追う、存在を意識しながら演技をしていて、それがなるせさんと吉谷さんに伝わったのが嬉しかった、みたいな話。 その時、隣に自分もいて聞いてたって小坂さんもフワッとアピールしてた。 
 小坂さんは自分の中でかなりセリフが多い舞台だったので、セリフを覚えるのが大変だった。って言ってて陳内さんが「でもりょうたろう『台詞覚え付き合いますよ』って言うんですよ。優しいでしょ?自分も覚えたかったんだろうね」って言ってた。 
 やっちまった出来事。 
 赤澤さんは「言える範囲でだけど、白秋さんの顎鼻額を一回斬ってる。佐藤さんこんな顔(顔真似)してた」とのこと。
 陳内さんは「お味噌汁あるじゃん?ポットで、ロック解除を押して給湯なのに、給湯押してロック解除を何度もやっててお湯が出なかったら赤澤が『きしょっ!』って言ってきた。疲れてたんだろうね」とのこと。 
 小坂さんは……思い浮かばない、みたいな顔してたら2人から「そのパネルの下に隠してる部分(骨折した指)あるじゃん」って突っ込まれてた。「みんな優しいんですよ。左手しか使えないから、殺陣師さんも殺陣を付け直してくれて、相手の人も早入りして練習付き合ってくれて」と、文劇スタッフキャストの優しさを語ってくれてた。 
 お互いの好きなシーンを言う。 
 陳内さんから赤澤さんへ。 最後、堕落した時に赤澤さんが館長と戦ってるシーンで言うセリフが背中を押してくれる。元々あのシーンは演出が違ったけど、話し合う中で決まっていった。あのセリフがあるから覚醒できる、みたいな話。 
 赤澤さんから小坂さんへ。 最後背中合わせで回想シーンになる時、「なぁ檀」のあのセリフが1番好き。なんなら最初の時が1番好き。照明もBGMもついてない時が1番好きだった。っていういい話だったのに、最初「『なぁだん』の8文字?」って言ってて、陳内さんに「4文字だよ!」って突っ込まれてた。 
 小坂さんから陳内さんへ。 檀について、上手の階段で2人で話すシーンの時に、陣内さんの演技が日によって違うところ。今日も演技を変えてきてた。それに対し陳内さんも「今日は顔を見るようにしたら、ちゃんとりょうたろうは顔を見て返してくれて生きてるって感じがした。(りょうたろうの)センス」って言ってた。陳内さんは褒めるとき「センス」って言うらしい。裏では方言が出ちゃうけど、それはアフトではナイショっぽくしてた。 
 無頼派の雰囲気がキャストとキャラで全然違っていて、それもまた魅力的な3人だなぁと思いました。 

 

以上、大阪アフターイベントでした。

 こんな長い考察&感想文なのに最後まで読んでくださってありがとうございました。文劇大好きだ―!!

舞台「文豪とアルケミスト 嘆キ人ノ廻旋(ロンド)」の感想

【感想】
製作陣と文豪たちが己へ突き付けた≪エゴの刃≫のような作品だった


 劇中でも度々出てくる単語「エゴ」
 辞書でひくと「エゴイズムの略。自分の利益を中心に考えて、他人の利益は考えない思考や行動の様式、利己主義」とあった。

 例えば
「楽しくてエンタメ色が強くてわかりやすい作品」
 それに対し
「重くて心を抉ってくるような難解な作品」

 お客さんが入りやすいのは絶対に前者なのよ。
 前者の方が作品としてはとっつきやすいし、見に行くハードルが低いから気軽に見に行こうと思える。俳優さんからのファンサが多い舞台が人気なのは、まさしくその典型的な例だと思う。

 でも、今回の作品を見て思ったのは、制作陣は後者の作品を作りたかったんだなということ。そして、前者との葛藤の中で作り出した作品なのかな、と思った。

 それが作品の中でも海外の大衆小説を書く文豪を出すことでうまく表現されていた。

 例えばエドガー・アラン・ポーが、純文学と大衆小説について語るシーンで『作品を生み出しても人々に読まれなければ意味がない(曖昧)』と言っていた。
 大衆小説=皆に好まれる小説はそれでいいのかもしれない。
 けれど今回の作品は純文学がテーマで、自己を削って作品を生み出す芸術性がテーマ。皆に読まれる読まれないは関係ないんだよ。

 夏目一門を主軸に置いたことでそのテーマ性がよりわかりやすかった。
 夏目漱石自身が「書くことで精神の安定を図っていた」と言っていたように、小説を書くことは漱石にとって精神安定剤だったのであれば、その門下生の芥川龍之介久米正雄が同じように、純文学に傾倒し芸術小説を書くのは自然な流れだと思った。
 ただ、久米正雄はその後、大衆小説も書くようになっていったので、青春時代に書いた「破船」が侵蝕対象となったのは妥当だな、と思った。
(友達情報なのですが「久米正雄を大衆小説に誘ったのが菊池寛」と聞いて、菊池寛をキャスティングしてきたの神ってなった。
 途中に出てきた『もう、邪魔されたくないんだよ!』のセリフも、本当は純文学を書きたいのに大衆小説を書いたってことなのかな?)


 今回のキャストさんはほとんど30代です。
 だから成熟した大人の雰囲気が醸し出す苦悩が伝わってきてよかった。
 海外の大衆小説とはまた違った、日本人独特の純文学のような、湿度の高い心の葛藤、心の機微が描かれていてよかった。
 また海外の個を重んじる考え方と、日本の集団を大切にする考え方。
 そして自死を禁忌とする考え方と、切腹という文化もある自死尊いという考え方。
 それらの対比も海外文豪を出すことでわかりやすかったなぁと感じました。


 作品でいうなら、終始描かれる久米と芥川のエゴ。
 「自分の作品は自分ひとりで守りたい、自分の作品が汚れるならその前に消して欲しい、芥川に素晴らしい芸術小説を書いてほしい」
 それらは全部久米のエゴ。
 「久米を救いたい。久米を救うためなら自分が侵蝕されて死んでも構わない」
 それは芥川のエゴ。
 作品の中でも二人のエゴがぶつかりあう内容だった。

 

【様々な伏線や気づき】
・セット
 今作品では芥川や菊池が通っていた喫茶店がイメージなんだね。
 調べたら新橋にある「ギンザカフェーパウリスタ」というところらしい。焼けてしまったので今はもう当時と同じではないんだけど、そういうのも考慮してステンドグラスが割れていたのかな。
 あとメインステージの端の部分がちぎれたようになっていて、割れたステンドグラスと同様、退廃した雰囲気のセットだった。
 だから日本人の文豪が出るときは、その退廃した雰囲気がマッチしてたんだけど、それとは逆に海外の文豪が出てくるときは、ソファーやテーブルなどは綺麗で、バーの描写があったりして、日本の文化に西洋の文化が入り込んできた時期を切り取ったのかな、と感じました。

 そしてサブステージ!
 芥川と久米が両端に立つシーンがあるんだけど、これが二人の心の距離を表していてとてもよい。
 あと、冒頭部分で夏目漱石が「門下生の・・・」と説明するときに、芥川をまず紹介して彼の優秀さを並べるんだよ。
 そこのサブステージにいる久米の疎外感と悔しい気持ちがめちゃくちゃよいので見てほしい!
 ここのシーン、メインステージで話が進んでいってるから、配信だと久米にカメラが抜かれないけど、ここの久米、ほんとにめちゃくちゃよい!!劇場に行ったら、ここのシーンは久米ばかり見てしまった。
 ただ、ステラボールは横に広いので、左右のサブステージに距離があって前の方の座席だとかなり見にくかったです。ピロティだったらそんなことないのかな。
 ってか、少し後方の座席の方が全体が見渡せてよいと思います。が、久米のあの悔しい表情は間近で見てほしい!!


・炎の演出
 今回の侵蝕された本のタイトルの出し方が今までと変わっていて、布が焼けて文字になるっていう手法だった。これは新たな手法ですね、吉谷さん(笑)
 しかも焦げたような感じだったので、喫煙者の芥川を彷彿させた。夏目漱石も愛煙家だったし。
 ここで一旦”火”というワードを頭の中に入れることで、後半の梵書や地獄変にも繋がるあたり、布を焼くことに意味があったのね、吉谷さん(笑)


・影の演出
 シルエットの描写が多用されていました。
 文劇1で芥川の「鼻」が侵蝕されたときに出てきた、光があれば影が出来るということも意味しているのかな、と思った。特に久米を表現するときに、シルエットで描写されてて『あぁ、芥川が光で久米が影なのか』って思いながら見てた。


・文アニと文劇
 「地獄変」が表現された瞬間、文アニを思い出しちゃったよ。
 志賀ぁぁぁぁぁ(私は志賀ファン)
 今回は地獄変を出すことで、芥川の芸術小説のクオリティの高さを、久米が感じていることが表現されていた。
 炎の表現が、また・・・

 そして久米の小説に芥川が潜書出来ないっていうのも、文アニを思い出した。
 文アニでは芥川の小説に潜書出来ないのを、無理やり志賀直哉太宰治がこじ開けて潜書するんだよ。こういうところで文アニと文劇って繋がってるんだろうなぁって感じました。


・ブルズさんの活躍
 地獄変での炎の表現方法は圧巻。そして潜書させないようにギュッと固まるのを、一つずつ剥がして潜書するあの演出がいいんだよ。やっぱり人がそこに存在するだけで圧を感じるというか、生身の人間が演じるから重みを感じるのよね。
 文劇2でブルズさんに覆われた武者小路実篤を救おうとする志賀さんを思い出しました。あそこもブルズさんの圧がすごいからこそ、志賀の助けたい気持ちが活きてきたシーンだったし。
 あとは「こころ」のブルズさんの動きも素晴らしかったです。一応「こころ」は事前に読んでいたので内容は知っていたのですが、ブルズさんの存在で読んでない人にもよりわかりやすくなってた。


・乱歩のみどころ
 今回「和合さんの魅力を引き出す(曖昧)」と制作会議でなるせさんと吉谷さんがおっしゃっていたとレポで見ました。
 確かに和合さん演じる乱歩がいつものストーリーテラーだけでなく、いつもより物語に絡んでいた気がする。それはポー様やクラフトさんが出ることで、大衆小説の仲間を得たからなのかな、と思った。
 笑いのシーンに欠かせない人物。それが和合さんの乱歩なんだよ。
 個人的にクラフトさんの壺に吐こうとする乱歩さん(配信では映ってない)と、「外してほしい」(これは文劇3のネタだね)からの落ち込み乱歩さんが好きです。


・犀星の存在
 今回は彼だけが詩人で唯一ぶれない人。
 吉谷さんが「揺らぎ」を描いた、って言ってたのね。
 日本文豪達は、純文学と大衆文学との間で揺らぎ、海外の文化が入ってきたことで揺らぎ、自分のエゴが原因で揺らいでいた。
 海外文豪達は、精神的揺らぎはなかったけど、ミステリー小説という、読む人々の心をヒヤヒヤと揺らがせる存在なのかな、と思った。
 そんな中、短い文体で本質を突く詩人の犀星の存在はありがたかったです。ポー様に噛みつきに行くシーンは、萩原朔太郎の死のことを思い出させて、思わず文劇3のあのシーンが頭をよぎりました。そして怒ったら椅子を振り回すのも、史実通りで安定の犀星だなぁと思った。


・「揺らぎ」について
 芥川の揺らぎについて、わたし的にモヤモヤしたから吐き出させて欲しい。
 芥川は「自分の作品が無ければ」って言ったり、自分の作品を梵書したり、自分が犠牲になって久米を助けたり、<死>に対して近い存在な風に感じました。
 時系列的には3→1→2→5だから、太宰と出会って、蜘蛛の糸で助けられて、太宰から図書館で「仮にも死ぬなんて言わないでください(曖昧)」って言われた芥川なのに、こんなに死の色がまだ濃いのか、って思ってしまった。
 確かに久米を救うには、吉谷さんがいうところの「美しい悲劇」として侵蝕者を自分が取り込むという選択肢はアリなんだろうけど、だったら太宰がやってきたことはなんだったんだろう、って思った。
 (侵蝕者を取り込みに行く前に「犀星君に怒られるかな」って言うことで死を嫌う犀星が怒ること=死を選ぶ、っていうのが分かるようなセリフが入ってるんだよね)


・久米と太宰
 久米は「負の感情を芸術に変えるのが自分」「純粋な魂を誰にも邪魔させない」「やり場のない魂を文学として昇華する」って言ってたから太宰と同じタイプなんだろうね。
 そして太宰も負の感情を作品に落とし込んで昇華するタイプで(だから3のアルケミストに狙われた)、でも太宰は文学として綺麗に昇華出来て、なおかつ民衆からも人気が出たのが違いだと思っている。
 文劇の時系列では、芥川は転生した太宰に出会ってから久米に出会ったので、久米に太宰の影を見たんじゃないかな。
 だって「自分がいなくなっても久米なら文学にしてくれる」「久米の文学の中で生き続ける」って言うんだよ。
 似たようなセリフ、太宰に言ってるのを聞いた気がするんだが?
 だから「久米に助けられた」って言うセリフは、暗に「太宰君にも助けられた」って意味も含んでる気がする。
 久米に似た太宰に助けられた自分だから、自分を犠牲にしてでも久米を助けようとした、と考えると芥川の死の「揺らぎ」がスッキリするんだよ。
 そこんところどうなんだろう。

 

 さて、最初の話に戻りますが、リピーターチケット列が凄かったです。
 それはきっと、何度も見て考えないと理解できない作品だからだと思う。
 あと、ステージの構成上、目がいくつあっても足りない(笑)
 大阪公演は全て行く予定なので、どうか最後まで走り切って欲しい。
 東京千秋楽お疲れさまでした。

舞台「文豪とアルケミスト 捻クレ者ノ独唱(アリア)」の感想

【感想】
 徳田秋声の成長を見守ることで、見る側が自分の生き方を見つめ直す作品だと思った。

まだストリーミングで1回しか見てないので、ディレイで複数回見て深堀りしたら、適宜修正していきます。


現時点での【様々な伏線や気づき】

・幕開け演出の変化
 吉谷さんのいつもの演出だった。最初に要所要所のシーンを見せて、観客に全体像をぼんやりと感じさせると共に、『そのセリフってどういう意味?』って疑問を投げかける手法の事。
 でも今までなら複数人でその演出をやってたけど、今回は徳田秋声、1人でその役を担ってたの。だから赤澤氏の演技力が試されるなと思った。
 切り取ったシーンを1人で演じないといけないから、切り替えが大変そうだった。今後、回を増すごとに、その切り替わりがより明確になっていくのかなぁと思うので、千秋楽まで走り切ってください!期待しています。


・垂れ幕の没年
垂れ幕に没年が書かれていたのは、文劇3を見た人なら『あっ!』と思う仕掛けになっていた。
1903年尾崎紅葉
1908年国木田独歩
1939年泉鏡花
1943年徳田秋声
1948年太宰治
1964年佐藤春夫
1972年川端康成


ストーリーテラー
 前シリーズのストーリーテラー役は江戸川乱歩だったのが、今回は国木田独歩(+佐藤春夫)ってことでいいのかな?独歩は記者の印象が強いから、文豪とは一歩離れた視点で話していて、文劇2では見せ場が無かった分、今回は記者としての一面が引き立ついいポジションだと思った。あと、佐藤春夫。彼も文劇1で見せ場が少なかった分、今回は個性的なキャラクター達を俯瞰する、ストーリーのぶれない軸になってくれていた気がする。


・幕に投影される演出と本のセット
 侵蝕された時に文字が天に上っていくあの見せ方!
 めちゃくちゃ好きなんだけどー。
 前シリーズはセットに照明を当てることで世界観を出してたけど、今回は布に当てるのがメインでした。布の上に文字が駆け抜けていく様子が、侵蝕のスピード感を表していてとてもよかったです。
 そしてセット!本を見開いたセットの上に役者さんが立つことで、本から文豪が飛び出てきたような立体的な感覚がしました。もうっ、吉谷晃太朗氏の演出、大好き!!!!


・魔界と魔鳥
 川端康成佐藤春夫に「魔界で荒ぶるあなたの戦いを見てみたい。あなたは魔界がよく似合う」みたいなことを言った意味がわからなくて調べてみた。佐藤春夫は「魔鳥」と言う作品を書いていました。あらすじは『風評により魔鳥使いとされた家族が部族に惨殺される』という内容で、関東大震災後の朝鮮人虐殺も影響しているらしい。(読んでないので詳しいことは不明、すまん)植民地について色々思うところがあったっぽいから、川端康成は侵蝕された世界で、佐藤春夫がどう振る舞うかを見てみたかったのかな、と思った。植民地=侵蝕になってる?ここら辺、考察曖昧なので詳しい人、教えてほしい。


・熱海繋がり
 太宰治井伏鱒二檀一雄との「熱海事件」が元ネタで、太宰治の「走れメロス」が出来たってのは、以前に太宰を調べたから知ってたの。「金色夜叉」の”熱海”繋がりでその話を持ってくるか、っていう話の展開が素晴らしい!
 このシーン、佐藤春夫が出てるんだから、普通なら太宰と檀の借金を払ってあげた佐藤が話す立場になると思うじゃない?でも敢えて国木田独歩が話すことで、彼のジャーナリストとしての立ち位置を、作品の早い段階で観客に示してた。


尾崎紅葉への盲目的尊敬
 尾崎紅葉の「金色夜叉」を最初に侵蝕させることで、泉鏡花尾崎紅葉に対して盲目的尊敬をしていることを観客にまず提示し、そこからの泉鏡花の「婦系図」が侵蝕されたので、泉鏡花尾崎紅葉が侵蝕者であることに全然気づかないことがすごくわかりやすかった。


・尊敬→尊敬→尊敬の図
 里見弴が泉鏡花を慕う姿がしきりに描かれていた。尾崎紅葉を慕う泉鏡花が、逆に慕われる身になった時に感じるしんどい気持ち。その気持ちを知っているからこそ、疑心暗鬼になって『自分が尾崎紅葉を殺したんじゃないか』という疑念になったんだな、と思った。ここら辺の里見弴の使い方がうまいよね。


尾崎紅葉の死因と泉鏡花潔癖症
 泉鏡花がもなかに火を通して真っ黒焦げにして、尾崎紅葉が「病気になっちゃう」って言うところ。笑いになってたけど、尾崎紅葉の死因は胃癌なんだね。焦げたものを食べると胃癌になりやすい点と、泉鏡花潔癖症の点を見事に表現して、かつ笑いに変えてて凄いと思った。


・貫一とお宮?
 「婦系図」が侵蝕された時に、泉鏡花徳田秋声が言い合いになるシーン。徳田秋声は声の主が泉鏡花の心の声ってわかってるけど、本人を目の前にし、周りの人の存在を気にして、言葉の真意を伝えることができない。でもそれが故に、自分が犯人に仕立て上げられてしまう。ここら辺の相手を想うが故にすれ違う感じが、文劇2の志賀直哉武者小路実篤を彷彿させた。めっちゃもどかしいんだよぉ。それが、好き(笑)
 しかし、2人を「金色夜叉」の貫一とお宮と表現するのはちょっと違和感があった。富山唯継が尾崎紅葉ってことなのかな?ここら辺の考察も掘り下げたい。


・文劇3のトラウマと川端との確執の回収
 川端康成太宰治の「女生徒」を褒めるくだり。文劇3で館長から「女生徒も斜陽も他人から盗用した作品。おまえは人から盗んだ内容しか書けない」みたいなことを言われていたので、そのトラウマをうまく回収し、なおかつ川端との確執もうまく昇華させたな、と思った。その結果、新太宰治が登場したわけだし(笑)


・シリーズ1からシリーズ2へ
 牢獄に入れられた徳田秋声太宰治の会話。文劇4は新しいシリーズの第1作目なんだ、と改めて思わせるやりとりでした。太宰治が1〜3で得た経験が、先輩として徳田秋声に引き継がれる。『潜書して戦う事とは』『自分とどう向き合うか』など。観察眼を持っていて、真実を見抜く目を持っている徳田秋声だからこそできる事を教え、彼に今、足りないものを太宰は示してくれていた。今までたくさんの人が太宰治に生きる道を示してくれてたからこそ、徳田秋声にアドバイス出来るようになったんだよね。『成長したな、太宰』と思わずにいられなかった。中でも特に文劇3の北原白秋の存在は大きいよ。


・どのタイミングで擬態に気づくか
 最後の戦いで尾崎紅葉が登場した段階で『あ、これ、萩原朔太郎に擬態したパターンと一緒のやつでは?』って気づいちゃった。そして案の定、尾崎紅葉は侵蝕者でした(笑)

 取り急ぎ感想を書きました。また気づきが合ったら足していくと思います。

 この感想を読んで第1弾から第3弾を見てない人はぜひ見てほしい。
 全部がちゃんと繋がってるから。

さ、明日からディレイ配信始まったらめっちゃ見るぞー!!

「手袋を買いに」櫻井圭登氏 ListenGoと読奏劇の聞き比べ

櫻井圭登氏が読んだ「手袋を買いに」
ListenGoさんと読奏劇さんの聞き比べをしてみました。

長いので簡潔に言うと
ListenGoさんの方が淡々として大人っぽい口調、読奏劇さんの方があどけない口調でした。
あと、読奏劇さんの方が読み込んだ感じを受けました。

以下は全文を聞き比べた感想です。
著作権切れているので大丈夫だとは思いますがまずかったら要点のみにするので御指摘お願いします。

 

寒い冬が北方から、狐の親子の棲んでいる森へもやって来ました。
或朝洞穴から子供の狐が出ようとしましたが、
「あっ」と叫んで眼を抑さえながら母さん狐のところへころげて来ました。

ListenGoは優しいBGMが流れて朗読が始まるのに対し、読奏劇はまずヤカンがアップになってビジュアルで魅せていた。
ヤカンのお湯が沸いている『シュー』という音が、寒い冬の季節を表現し、なおかつ懐かしさや温かい柔らかさを感じさせていました。
また、櫻井氏が椅子に腰かけ、ベッドに向かって朗読をし始めるアングルだったので『絵本を読み聞かせる』という世界観も伝わって来ました。
同じ作品にもかかわらず、初っ端から『読奏劇だからこそできる演出をしてきたなぁ』という印象。


「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴早く早く」と言いました。

ListenGoの子狐は読奏劇に比べて大人っぽい口調。逆に読奏劇は高くて幼い声色。


母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。

『恐る恐る』の語尾がListenGoは上がっていたけど、読奏劇は下がっていました。


母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。

読奏劇はプロジェクションマッピングを使って、下からふんわりとした雪が舞い上がるように映し出されるのが、ふわっとした雰囲気ですごくよかったです。


その雪の上からお陽さまがキラキラと照していたので、雪は眩しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。

読奏劇では、下から舞い上がった雪が今度は上から緩やかにふわふわと舞い落ちる照明に変わるの。櫻井氏の茶ベージュ色のカーディガンが、ちょうど毛布や狐の毛皮のように見えて白い雪が綺麗に映えていました。
そして横顔をアップにしてベッドに向かって、にっこり微笑むことで優しい空気感が流れていました。
ListenGoはここでBGMが終わって場面転換。


子供の狐は遊びに行きました。真綿のように柔かい雪の上を駈け廻ると、雪の粉が、しぶきのように飛び散って小さい虹がすっと映るのでした。

『すっと』の部分をListenGoは『すーっと』と伸ばしているのに対し、読奏劇は『すっと』という表現の違いがありました。
プロジェクションマッピングでは、子狐が駈け回る表現を下から舞い上がる照明で、雪が飛び散る表現を上からふわふわと舞い落ちる照明で表現していました。


 すると突然、うしろで、
「どたどた、ざーっ」と物凄い音がして、パン粉のような粉雪が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。

ListenGoは『どたどた』をBGMで表現。読奏劇の方は櫻井氏が『どたどた』『ざーっ』『ふわー』等の擬音語をより濃く表現していました。


子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十米も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹糸のように雪がこぼれていました。

ListenGoは軽快なBGMが始まり、子狐が転がる様子を表現していました。


 間もなく洞穴へ帰って来た子狐は、
「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」と言って、濡れて牡丹色になった両手を母さん狐の前にさしだしました。

読奏劇は影絵の子狐が登場。ちゃんと喋って耳まで動く辺り、本当に生きているようでここでも監督の本気を感じた(笑)


母さん狐は、その手に、は――っと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖かくなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」といいましたが、かあいい坊やの手に霜焼ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊やのお手々にあうような毛糸の手袋を買ってやろうと思いました。

読奏劇は母狐も影絵で登場。子狐よりふっくらした影絵で母親らしさがちゃんと出ていました。母狐のセリフもListenGoより読奏劇の方が柔らかい言い方でした。
ListenGoはここでBGMが終わって場面転換。


 暗い暗い夜が風呂敷のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮びあがっていました。
 親子の銀狐は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお腹の下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。

ListenGoは母狐の不安な雰囲気や夜の雰囲気が伝わるBGMが流れて場面転換。


 やがて、行手にぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて、
「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。

『落ちてるのねえ』の部分をListenGoは『落ちてるのね』に対し、読奏劇は『落ちてるのねぇ』と、より語尾が伸びてました。ListenGoより読奏劇の子狐の方が幼い設定なのかも。


「あれはお星さまじゃないのよ」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。
「あれは町の灯なんだよ」
 その町の灯を見た時、母さん狐は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思い出しました。

読奏劇はさすが読む劇!櫻井氏の演技で、母狐の表情が怖かった過去を思い出していることがひしひしと伝わって来ました。


およしなさいっていうのもきかないで、お友達の狐が、或る家の家鴨を盗もうとしたので、お百姓に見つかって、さんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
「母ちゃん何してんの、早く行こうよ」と子供の狐がお腹の下から言うのでしたが、母さん狐はどうしても足がすすまないのでした。

ListenGoより読奏劇の方が、子狐は早く町へ行きたがっている様子が伝わって来ました。読奏劇は子狐が母になって読み聞かせている設定だから、当時の感情を思い出してワクワクしているのかもしれない。
それとは逆に、読奏劇よりListenGoの方が、母狐の足が進まない表現に感情が乗っていました。ListenGoは読奏劇みたいな裏設定はないし、普通に小説を朗読しているからかも。


そこで、しかたがないので、坊やだけを一人で町まで行かせることになりました。
「坊やお手々を片方お出し」とお母さん狐がいいました。その手を、母さん狐はしばらく握っている間に、可愛いい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの狐はその手をひろげたり握ったり、抓って見たり、嗅いで見たりしました。

読奏劇で子狐の影絵がパーの手になった瞬間は『影絵だからこそできる表現方法だなぁ』と感動しました。考えた監督さん凄い!


「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、またその、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に円いシャッポの看板のかかっている家を探すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間から、こっちの手、ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目よ」と母さん狐は言いきかせました。

『それは人間の手よ』を読むところで、読奏劇は櫻井氏の嬉しそうで楽しそうな表情のアップが映されていました。おかげで子狐が人間の手になった時の嬉しかった感情が伝わってきた。
また『戸の隙間から』の時に明るい光がスーッと通り過ぎることで、扉が開いたのも視覚で表現されていました。


「どうして?」と坊やの狐はききかえしました。
「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴まえて檻の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ」
「ふーん」

ListenGoの方が母狐の声音が少し硬く、読奏劇の方が少し柔らかかったです。『ふーん』の言い方は読奏劇はやんちゃ系、ListenGoはぼんやり系の言い方でした。


「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ」と言って、母さんの狐は、持って来た二つの白銅貨を、人間の手の方へ握らせてやりました。

読奏劇は母狐の影絵が小刻みに動くことで、母狐の必死さが伝わって来ました。


 子供の狐は、町の灯を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十にもふえました。
狐の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を閉めてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。

ここでListenGoも読奏劇も弦楽器のBGMが再び始まるんだけど、ListenGoは穏やかなBGMに対し、読奏劇はポップで軽快なBGMなので、子狐の心情が全然異なる風に感じました。
櫻井氏の読み方もBGMに合わせた読み違いがあったように思います。


 けれど表の看板の上には大てい小さな電燈がともっていましたので、狐の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで画かれ、或るものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分らないのでした。
 とうとう帽子屋がみつかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電燈に照されてかかっていました。

読奏劇は丸い照明が次々と横に流れていくことで、子狐が看板を見ながら電燈の下を歩いていく表現がされていました。


 子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は」

ListenGoは比較的あっさりした挨拶に対し、読奏劇の方は声も高くて幼さが際立った読み方でした。


 すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
 子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手をすきまからさしこんでしまいました。

読奏劇では戸が開いたタイミングでゆっくりと照明が明るくなり、戸が開いたことがわかるようになっていました。
また『お母さまがだしちゃいけない』という個所は、ListenGoの方がより深刻な感じの印象を受けました。


「このお手々にちょうどいい手袋下さい」

ListenGoは恐怖に怯えたおどおどした声で、読奏劇は不安で震えた高めの声。やっぱりListenGoより読奏劇の方が子狐の年齢が低い印象です。
ListenGoも読奏劇もBGMが怖い音に変わったので、さっきまでの雰囲気と一転して子狐の不安な様子が想像できました。


 すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木の葉で買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指のさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚から子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。

ListenGoはずっとBGMにドクンドクンという心臓の音が流れ、子狐の不安な心情を表現していたのに対して、読奏劇は櫻井氏が震えた手で白銅貨を隙間から出す映像が流れることで表現されていました。
ここは印象的なシーンだからこそ、櫻井氏の声だけじゃなく、各メディアの特徴であるBGM(聴覚=ListenGo)と映像(視覚=配信)で表現しているんだろうなぁと思いました。


子狐は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有ったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの」と思いました。けれど子狐はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
 ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何と言うおっとりした声なんでしょう。

『やさしい・うつくしい・おっとり』の3段表現時の最後に、読奏劇では櫻井氏のアップを映すことで、子狐が人間に出会ったときのインパクトも感じることが出来ました。


「ねむれ ねむれ
母の胸に、
ねむれ ねむれ
母の手に――」

ListenGoは櫻井氏の鼻歌、読奏劇はBGMに合わせた櫻井氏のリップシンク
しかも子狐のしっぽがまるで生きているように毛布の中からゆっくり出てくることで、安心して眠りに落ちていく様子が表現されていました。
ここからのきつねのしっぽ描写は本当に≪監督の本気≫だった(笑)


 子狐はその唄声は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。
 するとこんどは、子供の声がしました。
「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼いてるでしょうね」
 すると母さんの声が、
「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」

『優しい声でゆすぶってくれるからです』と言いながら読奏劇でベッドを見る櫻井氏の表情が本当に優しくて、まるでお母さんのようで、櫻井圭登氏から母性を感じました。この表情を伝えられるのが読奏劇ならではの良さ!


 それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳んで行きました。
 お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖い胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。

読奏劇で、震える母狐の影絵と戻って来た子狐が抱き合う演出は、影絵なのに母狐の心情が伝わって来て感動しました。
そして『よろこびました』のところで櫻井氏のアップになるところが物凄く好き。
気になったんだけど、文章の最後で感情を表すとき、度々櫻井氏のアップが使われるのね。
監督さんがこの演出方法をお好きなのかな?印象に残るので私も凄く好きです。


 二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖かい手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。

『暖かい手袋くれたもの』のところで、読奏劇では手袋がアップになり、それが最初に出てきたヤカンと同じ赤い色で、統一感もあったし暖色系だから暖かな気持ちになりました。


お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。

ListenGoの方は少し疑問に感じるニュアンスが含まれた読み方で、読奏劇は母が子狐に読み聞かせる読み方で違いがありました。
あと、ListenGoは最後のセリフの後に盛り上がるBGMが入るので感動して終わるのに対し、読奏劇は櫻井氏が実は母になった子狐だったというオチがスローモーションで表現されていて、シューベルトの子守唄がオルゴールの音で流れるから、愛情あふれる柔らかい終わり方でした。

 

以上、あくまで私的感想です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。

宮崎湧氏の「24時間耐久配信」について(3/23追記修正)

宮崎湧氏の「24時間耐久配信」を見て感じたこと。
 
【前提】
あんステの真白友也役で出てたらしい
・エーステの瑠璃川幸役で出てたらしい
・「なのっくす。」というあだ名らしい
という情報くらいしか知らず、性格も声も喋り方も一切の情報がない中で見た配信。
 
【結果】
『推しますわ。ってか、推せますわ!』
 
 
 今回の配信は、横田龍儀氏のリツイートで知りました。コラボメンバーも知ってる方ばかりだったので『コラボ部分だけでも見よっかな』くらいの軽い気持ちでLIVE配信を開いたのが《なのっくす。ワールド》への扉だったのです。
 
 最初は『呂律が甘めでクセのある喋り方の子だなぁ』という印象でした。
 そして櫻井圭登氏との対戦では『負けず嫌いで、良い意味で無邪気な子』というイメージに変わり、その無邪気さとロレロレロレックス…じゃない、呂律の回らない中毒性高い喋り方に、じわりじわりと彼の世界観に侵食されていき…
 当初、コラボ部分だけを見るつもりが、圭登君が去った後も面白すぎてそのまま配信を見るのを止められず、そして気づけば朝の6時過ぎ(笑)
 はい、コンビニプリン騒動もハーモニカホラーも沼風呂も全部見ましたw
 
 その後は私自身が1時間ほど細切れで記憶を飛ばし飛ばし、再び10時頃の無言タイムから最後まで、初見なのにしっかり全部見たよー!(会員限定部分は除く)←なのラボの民になったので結局見た(笑)
 「ゲーム実況」や「24時間生配信」というものを見たのも人生初ですよ。
 
 
 なんかねぇ、上手く言葉にできないんですが、ファンの皆さんやコラボ相手の方々が、みんなで画面越しに湧君を応援する姿に、私自身、生まれて初めての感情が湧き上がったの。
 
 1人の俳優さんを、ファンの皆が画面越しに心配し応援する姿。配信時間が経つにつれ、宮崎湧氏という存在をどんどん知っていくと同時に、コメント欄に見慣れたアイコンや名前が増えていく感覚。
 言うなれば『宮崎湧という存在を軸に、全てを包括するような、形の見えない大きな概念』を感じ取りました。
 
 伝わり難いので具体例をあげると、夜中の「あつまれどうぶつの森」テレビ事件。
 土曜日の3:33にテレビに何かが映るらしいというウワサを検証すべく湧君が奮闘するんだけど、肝心のテレビがないことに直前で気づく。テンパる湧君に、ファンのみんながコメントでアドバイスをし、みんなから大量のテレビが集まり、ようやく見れた時の感動たるや!いきなり始まった"宮崎8勇士"のチェキ会も面白かったぁ。
 その光景を見て、我々の声や応援が届いて双方向で繋がっている事を実感しました。
 
 その他にもファンの方々が湧君へコメントで、コンビニで買うものを教えたり、住所が特定されないよう注意喚起したり、寝不足で危ないから火を使わないよう心配したり、龍儀君とのゲーム対戦ではゲームに熱中する2人の代わりに、ファンのみんなが遊びに来てくれた涼星君にコメントを返す姿は、まさしく湧君とファンが一体化しているような感覚だった。
 
 配信の最後辺りに「(ファンやコラボしてくださった方々みんなで)一緒に走ってきた感がハンパない」って書かせて貰ったんですが、この大きな概念の中に私も取り込まれていたからこそ、24時間最後まで見届けることができたんだと思います。
 またそれだけじゃなく、純粋にめちゃくちゃコンテンツの中身も面白かったし、『宮崎湧』という人柄も最高でした!!月曜、火曜と暇さえあれば、アーカイブ見返してまた笑ってたもん(笑)笑顔にしてくれてありがとうございます。身体を張ってこんな楽しい時間を提供してくれて感謝しかない。
 
 
【最後に】
 配信が終わって既に5時間が経過してるのに、もう寂しい気持ちでいっぱいです。YouTubeを開けば、今も湧君が配信してるんじゃないかという幻覚にとらわれてるよぉ。
 
 「24時間耐久配信」とっても楽しかったです。宮崎湧氏が愛されてる理由を少しでも理解した気がしたし、無邪気で可愛いだけじゃなく新しいことに挑戦し面白い事も全力でやるし、男気溢れて愛される素質を持ってるめちゃめちゃ魅力的な俳優さんだなと思いました。虜になるのわかる。湧君含め皆さまお疲れ様でした。ありがとうございました。
 
 あ、YouTubeのチャンネル登録と、Twitterとインスタのアカウントもフォローしましたよゝ水曜日に「なのラボ」で24時間耐久配信の振り返りがあるっぽいので、このままだとそちらも加入してしまいそうな勢いで怖い…
 
【追伸】
3/24(水)「なのラボ」加入しました💊

「ミュージカル封神演義~開戦の前奏曲~」の感想(1/3追加修正)


【感想】
趙公明平野良さんで本当に良かった」(詳細は後で)
良かった点:ミュージカル×封神演義の魅力を知れた
悪かった点:原作未読だと理解しにくい。太公望の人物描写が浅い。


【あらすじ】(公式)
 古代中国ー殷の王朝時代。第30代皇帝・紂王は仙女の妲己を皇后に迎えて以来、国は乱れに乱れていた。それを見かねた崑崙山の教主・元始天尊は、悪の仙道を神界に封じ込め、革命による新たな王朝を作る計画「封神計画」を弟子である道士・太公望に命ずる。元々怠け者であった太公望だが旅をするなかで苦しむ民の姿に直面する。天才道士の楊戩や哪吒、天化ら力強い仲間と共に少しずつ仙道のいない平和な世を実現させようと「封神計画」を実行していくのだった…。
 太公望の活躍により、やがて世界は大きく動き始めた。殷を恐れ、争いを避けていた国々が殷へ反旗を翻しはじめたのだ。また西岐も国名を「周」とし、独立することを決める。太公望は周の軍師となり、打倒・妲己(殷)を掲げるのであった。しかし、妲己側は新たな策で太公望を追い詰めようとする…。
 新たに太公望に差し向けられたのは妲己や「殷」の太師である聞仲と揃って金鰲三強とうたわれた趙公明だったーーーー。


【前提】
 高校時代にリアルタイムで読んでた世代。ガチの原作ファン。封神演義は、生きる指針、人生の教科書、考え方の軸。
 封神演義が舞台になると知り初めて2.5次元舞台を見に行ったし、大阪人なのに前作はほぼ全通した。続編が観たくて2年近く『続編希望』って言い続けてようやく念願が叶った。
 なのに…初日が千秋楽になるなんて。

 (参考)人生初ファンミに行った時のレポ



 そんな拗らせオタクによる感想。

【様々な伏線や気づき】
封神演義がミュージカルの意義
 普通の舞台じゃなく、なぜミュージカルなのか。たぶんミュージカルじゃないと作品が進んでいかないんじゃないかな。歌詞の中でストーリーの解説もしてるおかげで、あの量の原作を3時間でまとめられたんだと思う。
 そして今回は趙公明が登場するからミュージカルじゃないと彼の魅力が引き出せない。なんなら趙公明様のためのミュージカルだった(笑)

・立ち位置やセット
 太公望達が舞台に立ってる時、同時に妲己&聞仲&趙公明や申公豹が登場するときは、大概セットの上段にいる。視覚的に太公望達と彼らとの力の差を見せてた。
 舞台中央に2枚の布が暖簾のようにかけられてた。そこに水墨画があって、なんとなく2次元の見開き漫画からキャラクターが登場してきた印象を受けた。しかも照明の影響でその布はモニターの役割もしてたし、すぐに宝具を変えたり、腕を差し替えたり出来るようになってた。吉谷さんの演出と言えば、アンサンブルさんだけでなく小道具の使い方がお上手だと思ってて、文劇の糸並みに、封ミゅではあの2枚の布がめちゃくちゃ舞台の中心的小道具?セットだった。

・キャラまで演じるアンサンブルさん
 魔家四将、楊任、馬元、呂岳。キャストには名前はないけど、ちゃんと衣装もウィッグもつけて、セリフや演技もキャラそのものでした。当日?公式ツイッターで魔家四将が出るって見て『えっ、そんなんキャスト欄にないのにほんとに出るの?前回の賈氏や黄氏みたいな感じかな』と思ってたら、想像以上のクオリティで感動した。
 楊任は殷洪役の田口司さん、呂岳は殷郊役の長江崚行さん、余化はスープー役の吉原秀幸さんなんだね。配信めっちゃ見てたけど全然気づかなかった。凄いな、役者さんって。そりゃこの3役は重要な役どころだから、ちゃんとした役者さんが必要だもんね。しかも太公望を助けるために亡くなった殷洪役の田口さんが、再び楊任として太公望を助けるのキャスティング神がかってる。誰がキャスティング考えたの??(1/3追記)

・メタ的要素
 フジリュー封神演義といえばメタ発言が多いのが特徴。
 趙公明の登場シーンがマジで趙公明様で、それに振り回される聞仲が「照明も音響も付き合わんでよい!」って怒ってる発言が、めっちゃフジリュー版の封神演義だな、と思った。メタじゃないかもしれないけど、第1弾同様、相変わらずいきなり歌い出す天化。そして2幕の最初でまた歌いだす太乙でした。

・キャスト変更
 個人的に陣内将さん演じる天化が好きだったから残念だったけど、太田さんの天化も想像通りの天化でした。あと、輝山立さん、ね…悔しいだろうなぁ。阿部大地さんは急遽決まった哪吒をあそこまで頑張ってくれてありがとうございます。特に今回は馬元くんとのシーンがあるから、哪吒の心の変化も表現しなきゃいけなくて大変だったと思う。1回だけの公演になっちゃったけど、キャストがキャラに馴染んでいく過程を観たかったな。

・四不象&黒点虎と哮天犬の描写の違い
 四不象&黒点虎は太公望&申公豹とやり取りするけど、哮天犬ってあくまで宝具なんだよね。そして腕から自由に出せる設定。だから布で表現するのは理に適ってる。

・観客の想像力ありきの舞台
 封神演義って漫画ならではの武器がどんどん出てくるから、演出家の吉谷さんも頭を抱えてるっておっしゃってた。舞台上で出来る事って限られてて、それを補完するのが観客の想像力だと思ってる。そのためには、原作を読んでないと補完できないから、封神演義の舞台は原作読んでないとわからないとこ出てくるだろうな、ってめっちゃ思った。特に番天印や馬元くんや進化形四不象、趙公明の原型辺りは、絶対原作読んでないとイメージできないと思う。
 あと方陣(殷)VS錐行の陣(周)は原作だとめちゃくちゃ完璧にキマるんだよぉ。私、高校生のときジャンプでこの戦いを読んで『もっと勉強して、知力で人生に勝ちたい!』って思ったぐらい衝撃だった。

・カットされた原作太公望のセリフ
 まず「約束できぬならわしは2人を犠牲にしてでもおぬしらを殺す!」(魔家四将に民を人質に取られたとき)
 第1弾で描かれてる初期は『敵も味方も出来るだけ殺したくない』っていう潔癖なまでの理想論を掲げてて、でも聞仲っていう圧倒的な力でねじ伏せられて、信念が変わっていくの。第2弾の辺りはちょうど過渡期前半だから、それを表現するためにもこのセリフは削らないで欲しかった。ちなみに過渡期後半は仙界大戦辺りだと思ってる。ほんとあそこら辺の太公望、見てられないほど葛藤があって辛い。
 次に「人間の力も借りねばならぬ事はわかっておったが、出来る限り犠牲は最小限に抑えたい。仙人界のおごりなのやもしれぬが…それでもわしはいやなのだ!!」(周の民が戦わないといけないとき)
 この太公望の『わかってる、けどイヤ!』って心情のセリフが削られてるから、1幕の大事な見せ場である殷郊戦がいまいち響いてこないんだよ。そしてこの二つのセリフって繋がってて、民のためなら仲間も犠牲にする→民を守るためなら自分が助けた子も自らの手で殺すって、だんだんと強くなっていく過程が表現されてるの。
 一応1幕の最後で「紂王も聞仲も妲己も倒す。そのためにはなんだってしよう。たとえ腕を失っても、血で汚れてでも!!」って原作のセリフは入ってたから、太公望の覚悟や強くなったのはわかった。けど、この二つのセリフがカットされてたから太公望の描写が浅くなってしまった気がする。

・殷郊戦で描かれていたもの
 脚本家さんはこのシーンで殷郊と殷洪兄弟の葛藤や苦しみを描きたかったんだと思う。でも、私は主人公である太公望の心理描写を観たかった。
 だって太公望は優しいから、将来敵になるのがわかっていながらも「目の前で殺されそうになっている兄弟を見殺しにはできない」って言って助けるんだよ。そしてその子が成長して自分の敵になるばかりか、その時の自分の甘さがきっかけで、多くの民が戦に巻き込まれて死んでしまう。自分の一時の優しさ・甘さが大量の民の犠牲を生んでしまった。その時の太公望の心情を考えると、私は耐えられない。
 しかも太公望は、仙人が人間に宝貝を使うのは絶対許せない信念を持ってて(一族が皆殺しにされた原因だから)、その許されざる行為を、自分が助けた子がおこなってしまうの。
 ここを掘り下げて描いてくれないと、太公望が利き腕を落としてまで1人で全責任を取る覚悟が際立たないし、自分の手を血で汚しても、民のために仲間を殺す辛さが伝わってこない。
 橋本さんも『あのシーンもっと出来たな』ってツイートしてたし、正直、私もそう思う。第1弾の最後で、血を吐いて死ぬまで聞仲と戦う橋本さんの演技を見たから、ここのシーンはもっと観客の胸に刺さる脚本×演出×演技になったんじゃないかって思ってた。
 初日が千秋楽になったから撮れてないかもしれないけど殷郊が「そんな顔しないでください。戦意が鈍る」って太公望に言ったときの太公望の表情が観たかった。
 辛辣な事を書いてしまってすみません。好きなシーンも。原作ではなかった、犠牲になった民に手を合わせる演出。太公望なら絶対そういう気持ちだろうなと思うから、この演出を足したのはすごく好き。
 
・主要キャラがいなくても成立している脚本
 今回って、雷震子、鄧蝉玉、土行孫が出ないから、魔家四将戦と劉環戦はどうするんだろうって思ってた。雷震子の代わりに哪吒を使ってた。劉環戦をザックリカットしても違和感なかったのは、間に聞仲の回想シーンを入れたからだと思ってる。馬元戦で親子話→殷の親の話で聞仲回想シーン→余化戦で飛虎の回想シーン→天化と飛虎の親子話、っていう一連の構成が素晴らしかった。
 
太公望が死から抜けるシーン
 ここの描写がまさしく『わぁ、吉谷さんだぁー!』ってなった。原作では太公望が1人で考えてるんだけど、舞台では過去の他キャラとの大事なセリフや回想シーンが入れられてるの。回想シーンでは声にエコーがかかっていて、前作の復習もできたし太公望の回想シーンっていうのがわかりやすかった(1/3追記

 しかも、宇宙に行った太公望が、地球を見て言うセリフは原作にはないセリフで、これは絶対作り手が今の時代に伝えたいメッセージを入れてきたって思った。そして、太公望が歌に乗せて「宇宙から見たあの星の美しさは変わらぬ。星は変わらず美しい」と言うセリフ。個人的にめちゃくちゃ感動した。だって、メッセージ性も持たせつつ、原作の流れも損なわず、かつ”宇宙””星””エイリアン”って、この先、めちゃくちゃ重要になってくるキーワードを違和感なく入れてくる絶妙なバランス。ここは観てて『ヤられたな』と思った。今回の舞台で一番刺さったし唸ったシーンだった。

 

【好きな演出】
・魔家四将が大地を腐らせる描写
・糸と紙を使った十絶陣
・アンサンブルさんだけで作るクイーン・ジョーカーⅡ世号
・「影」で表現する馬元と、「光」で表現する四不象
・馬元の心(人)と体(装置)の使い分け
・原作は立体映像なのにプロジェクションマッピングを絶対に使わない吉谷さんのこだわり(笑)


【もしかして】
・安里さん、セリフ間違えた?
 楊任戦で原作では「頭の中を読み取った」「脳の一部を乗っ取った」なんだけど、舞台では「頭の中を乗っ取った」って言ってて、言い間違えたのかなぁと思った。原作の手がジジジって変化しながら妖怪っぽさを感じさせて楊任に「それでもまだやるかい?」って言うシーンが今後の伏線で好きなんだけど、言い方がすごく柔らかかったのは、セリフ間違えたからだったら納得。

 あと前回「楊戩の髪の毛をポニテにするの大変」って言ってたし、リボンで結わえるようにしたのかな。
 

 

平野良氏の趙公明
 見終わった後に即ツイートしたけど、平野良氏ってなんなの?化け物なの?凄すぎて表現する言葉が出ない。それぐらいすごい役者さんだと思った。他作品でも拝見してて、見終わった後、絶対『この役は平野さんしか出来ないわ』って思わせるあの演技力なんなの?
 平野さんが気になったきっかけって、前回のミュージカル封神演義なの。たまたま入らなかった回に、平野さんと谷さんが来てたのね。で、2.5次元ナビという番組で封神演義が特集されるって見て、橋本さんもよく知らない、平野さんもよく知らない中、初めてその番組を見た時に『え、平野さんってすごくない?』って思った。立ち回りの上手さ、相手が求めてるものを笑いを含めてサラッと提供するスマートさ。しかもそれを相手に気づかせない頭の良さ。一気にファンになった。
 主役の橋本さんに「俺、封神演義めちゃくちゃ好きなの!谷佳樹って後輩と一緒に見に行って、延々と隣で封神演義の良さを語ってたから。今からでもいいから、どんなちょい役でもいいから出してくれない?」って言ってたの。だから趙公明役が平野良さんって聞いた瞬間『キター!!!』ってめちゃくちゃうれしかった。だって原作好きとしては原作好きな人に演じてもらいたいもん。そしてこんなこと言ってくれて、なおかつ演技めちゃくちゃ上手い人がキャスティングされて喜ばないわけない。もしかしたら初演の時点で趙公明役を平野さんがやるの決まってたから見に来たのかもしれないけど、その後、吉谷さん演出の文劇があったから文劇絡みで二人で見に来たのかなって思ってた。真相はわからないけど。
 今回の2.5次元ナビで、めちゃくちゃ嬉しそうに「封神演義に出演します!20年以上ずっと好きで、作品が好きすぎて、いくら稽古しても『趙公明じゃない』って初めて感じる葛藤がある」みたいなことをおっしゃってた。だから1公演しかできなかった平野さんの事を想うとめちゃくちゃ悔しい!!平野さんの趙公明をもっと見たいし、平野さんにもっと趙公明を演じて貰いたいから、原作ガチ勢としてぜひとも再演をお願いします。
 平野良さんと橋本祥平さんの対談記事を読んでたんだけど、平野さんが本当に封神演義ファンなのが伝わってきて『なに、もう、この人、ああぁぁぁ!!!!』ってなった。ちなみに記事を読んだ友達からは「みくらちゃんが封神演義について普段言ってるのとおんなじことを平野君が言ってる(笑)」って言われた。
 そんなわけで、封神ガチ勢の私なんかより平野さんの方がもっともっと悔しいと思うので、平野さんのために再演してください。お願いします。なんなら、国立アンニュイ学園でもいいです、ウソです。


【最後に】
初日が千秋楽になるなんて…
これも歴史の道標の仕業なんですか?
ご納得いただけなかったんですか?

それなら、あの方がご納得いただける形で、ぜひとも第2弾を再演して欲しい。
もちろん、第3弾でも構いません。シスター達の伏線も張られてたし。
でも第3弾で仙界大戦やるなら普賢君のあのシーン、私は直視できる自信がないなぁ…

とか言いつつ、フジリュー版の封神演義はここからが真骨頂なんです。
1巻の表紙の意味が解き明かされたり、細かな伏線が全部回収されていくんだよね。

最終話、最後の見開きページ。

あの太公望の表情が、苦しくなるほど好きだから、最後まで舞台化して欲しい。


【おまけ】
 趙公明が「戦術と戦略の違いは各自ディクショナリーを~」のくだり、高校生の時にディクショナリーを引きました。でもその時はぼんやりとしか違いがわからなくて、社会人になってようやく「趙公明が言ってたのはそういうことか!」って理解したよ。封神演義大好きだ―!!

舞台「文豪とアルケミスト 綴リ人ノ輪唱(カノン)」の感想(R3.2.24追記修正)

 

【コロナで心が死んだオタクが、文劇に救われた話】
(※ちなみに第2弾の感想はこちら

 この作品は「文化芸術が無くなったときに、人の心はどうなるのか」
 「今、私たちは、どのように抗い立ち向かい、コロナと共存していくのか」が描かれた社会派の作品です。

 そう思った印象的な2つのシーン。
北原白秋太宰治のやり取り。
白秋「戦争が起きて、文学が必要とされなくなっても文学を作るか?」
太宰「俺は作り続ける。パンで空腹は満たせても俺の心までは満たせない。本当の貧しさは書くことを失い、心が貧しくなってしまうこと。俺にとって、文学は生きる事そのもの」

②普段は穏やかで優しい北原白秋が、初めて怒りをあらわにして国家に対し叫ぶシーン。
「もし望むなら、この世から全ての文化芸術を消し去ったらいい。小説も絵画も音楽も詩集も短歌も!全部消し去ってみたまえ!!その後この世界に何が残るのか。人の心に何が残るのか!その本質がわかるのか!!」

 このシーンを見た時、腹の奥底から突き上げるような衝動が湧き上がり、胸が締め付けられ苦しくなって、息ができなくなった。

 皆、多かれ少なかれコロナが原因で、今まで当たり前だった日常が奪われている。けれど、毎日起きて、会社に行き、真っ直ぐ家に帰って、独り静かに過ごす。私はそんな生活を続けているうちに、『何のために生きているのか』生きる意味がわからなくなった。
 そして…心が死んだ。
(※食べることが出来なくなり体重も10キロ弱落ちた)

 だから太宰の『パンで心は満たせない』って言葉がめちゃくちゃ心に突き刺さった。感情がぐちゃぐちゃになり、初日公演の配信を見てパソコンの前で声を上げて泣いた。

 そして役者さん含めた作り手側が、白秋の言葉を通して《文化芸術は絶対に消させない》と抗い、必死に戦っている姿が伝わって来た。

 脚本家のなるせさんが、戯曲ノ書で「文学とか演劇とか文化的なものは、食べ物のように必要不可欠ではないので、時代の流れによって消されてしまうかもしれないもの。でも無かったら味気ない人生になる」っておっしゃってました。まさしくこの言葉がこの作品を今やる意味、そして存在する意義だと思う。

 いつもの舞台感想文より重い入り方ですみません。
 というわけで、まずは

 

【タイトルと主題歌から読み解く3部作の流れ】
第1弾から第3弾のタイトルと主題歌を並べてみると
1.≪挽歌(エレジー)≫ 「光ノ先へ」
2.≪円舞(ワルツ)≫  「白き美しき世界へ」
3.≪輪唱(カノン)≫  「魂となりて」

 1人でも歌える≪挽歌≫から、2人で踊り3拍子の≪円舞≫になり、複数で歌って追いかける≪輪唱≫になる。しかも「輪廻転生」を略したら「りんしょう(輪唱)」になるんだよ!

 文豪達が転生して「光ノ先へ(1)」進み、「白き美しき世界へ(2)」へと羽ばたき、「魂となりて(3)」も、なお再び「光ノ先へ(1)」輪廻転生する姿が描かれてた。

 毎回、作品を見終わった後に『そういう意味かぁ』って気づく、このタイトルと主題歌のネーミングセンス。秀逸すぎるよ!演出家の吉谷さんが「この第3弾で文劇シリーズに一つの区切りを作る。一度”点”を置いてみる」とインタビューで話していた意味がわかる3部作でした。
 その理由は以下に。

 

【舞台「文豪とアルケミスト」シリーズとは】
≪人の言葉(=想い)が人を生かす≫
 これが主軸なのかなと私は受け取った。

 史実では自殺した文豪達が、このシリーズでも死を選ぼうとするシーンが出てくる。でも、その選択時には、必ず誰か仲間が隣に居て、最終的には生きることを選ぶの。

 例えば第1弾では無頼派の2人が太宰に寄り添い、太宰の想いが芥川を助け、仲間達が太宰と芥川を救い出すエンディング。
 第2弾では、「友情」で繋がっていた志賀と武者が、時にお互いを信じられなくなりながらも、絶対的な絆で再び繋がる。その姿を見た有島(史実では自殺)が、二人と一緒に白樺派として共に生きていくエンディング。

 人が生きていくって、一人じゃ絶対に無理で、誰かが側に居てくれて自分のことを想ってくれるから生きていける。今作でもそれが描かれていました。
 太宰が仲間から「生きろ」ってメッセージを送られるんだけど、これは仲間から太宰に向けた言葉だけでなく、演劇、エンターテイメントの灯火を消さないという意味の「生きろ」そして私のように心が死んだ人間へ対しての「生きろ」って言葉だと思った。

 時系列的には第3弾→第1弾→第2弾の順で、今回の第3弾では全員殺されます。(めっちゃネタバレ)でもこの世界で肉体が滅んでも、次の世界に目を向け、輪廻転生を信じ前へ進む選択をする。そうすることで第1弾に続き、再び仲間に出会うことができて、仲間に救われる話へと繋がる。

 個人的に第2弾の話が一番好きなのは、シリーズとして2が最終話だったからだ、と納得した。
 こんだけネタバレしといてなんですが、まだ見たことない人はちゃんと第1弾→第2弾→第3弾の順で見てください(笑)時系列順にと思って3から見ちゃうと、シリーズに対する重みが全然違ってくるから!

 

【まとめ】
 芥川が太宰に向けた言葉がこの作品、ひいてはシリーズ全体を物語ってたと感じたので引用します。
(※法的に引っかかるかもしれないので要旨のみ)
「例え僕が滅びても、君の中で僕は生きてる。君が僕のことを気に入ってくれているなら、君の中には僕の作品が流れて、繋がっているんだよ。君が僕を想ってくれている限り、僕は君の中で作品と共に生きている」

 

【最後に】
 太宰が芥川の本に出会えたことで光を見出したように、私は文劇という作品に光を見出すことが出来ました。
 まだまだ微かな光で、灯火のように消えてしまうかもしれない。
 それは蜘蛛の糸のように、細くてすぐに切れてしまうかもしれない。
 ときには、その光を信じられなくなることもあるかもしれない。
 でも、自分の中にあるこの光を消さないよう、演劇という光を絶やさないよう、これからも前を向いて応援していきます。

「苦しい時こそもう一歩」前へ進み続けなきゃね。

 


↓ ここからは見た人向け第3弾の細かい点 ↓


【様々な伏線や気づき】
・第2弾から第3弾への違和感
まずセットについて。
 1と2はセットが可動式の仕組みで綺麗な作りなのに、3はところどころ壊れていて一切動かない。そこから3の時代背景は『1と2の前?』と読み取れた。
次に萩原朔太郎の性格について。
 2でおどおどしていた性格が3では全然違って、観てる側は最初すごく混乱した。違う理由はおそらく、3では隣に親友の室生犀星がいて、導いてくれる北原白秋先生が居てくれるから。そんな朔太郎がひとりぼっちで2の世界に転生したら、そりゃ不安になるよね。2は白秋一門から萩原朔太郎のみ。無頼派から坂口安吾のみを転生させることで、白樺派の友情や繋がりが強調されてたんだな、と思った。

 

・第3弾のキャストと時系列について(R3.2.24追記)
第1弾は無頼派が3人
第2弾は白樺派が3人
第3弾は白秋”一門”が3人
この3人はあくまで一門であり”派”ではない。
 第3弾では『個人主義』を描くために、敢えてどの派の括りも登場していないのかもしれない。第2弾で武者小路実篤有島武郎に「人には個性があるから、それを尊重しながら作品を作った方が良いものが出来る」と言うし、有島も武者に「誰もが平等で誰もが個性を活かせる社会」と、白樺派の理想郷について語る。
 時系列では3→1→2だけど、第3弾のテーマはちゃんと第2弾で白樺派の会話で描かれていて、それを2も3も両方に登場する萩原朔太郎が聞き、メッセージとして伝えられていた。
 ※もちろん1→2も細かい点で多々繋がっているけど、既に書いてたり皆知ってたりするので割愛

 時系列についても3→1→2の時系列だと思っていたけど、果たしてそうなのか?円盤を観て疑問に思った。第3弾の最後で太宰と芥川が出会うシーンがあるけど、第1弾では全く同じじゃない。と言うことは、別次元の話なのかもしれない。芥川の言葉の端々から何度も輪廻転生していることが伺えるので、純粋に3と1は続き物ではなく、別次元で繋がっているだけなのかな、と思った。


・芥川と太宰からみる輪廻転生
 史実では、芥川が自殺したとき、太宰はまだ学生で二人は出会っていない。にもかかわらず、芥川は太宰に会った時「太宰君のことは知ってるよ。今度出会うことがあったら君と話をしてみたいと思ってたんだ」と言う。そして3の最後に「また…出会えたね」って芥川が太宰に語りかけるあのシーン。芥川のこの言葉を聞いた瞬間、大号泣でした。
 芥川も太宰も3の時点で既に輪廻転生を繰り返している気がするんだけど、どうなんだろ。太宰はオープニングで「転生?以前にも同じような出来事があったような気もするし、初めてな気もする」と言ってて、芥川も「失望はないよ。もう何十回何百回と地獄は見てきたのだから」と言ってたので。


・「光」の表現方法としての灯火と電球
 白秋、朔太郎と犀星は「灯火」って単語を使うのに対し、太宰は「電球」という単語を使ってた。

 単純に生きてた時代の違いだけでなく、もっと深い意味があると思う。
 まずは「灯火(=火)」について。
 「火」は人類が初めて生み出したもの(=白秋が詩に歌をつけて童謡というジャンルを生み出した)
 火を起こすのが難しかったので集団生活の基盤となった(=白秋に導かれて朔太郎と犀星が北原一門になった)
 火に近づくと暖かさや温もりを感じる(=白秋が書く詩の雰囲気に近い)
 暗闇の中だから灯火は役に立つ(=白秋の詩は関東大震災で心の拠り所を無くした人の救いになった/この辛い状況だから演劇は人の救いになる)
 しかし灯火は吹けば消えるようなもろい存在(=白秋の詩は国家にプロパガンダとして利用される/国によって演劇が消える)

 次に「電球」について。
 「電球」は文明の利器でいつでも明るさを供給できる(=豊かな国の象徴)
 強い光を放つ(=芥川に対する太宰の強い憧れ)
 光が強い分、影も濃くなる(=太宰の闇)
 停電が起きれば一帯が全て真っ暗になる(=芥川の自殺で太宰は絶望する)

 このように意味合いは違うけど「灯火」も「電球」も両方とも「光」であることは確かで、朔太郎と犀星は白秋という光に導かれ、太宰は芥川という光に憧れた。3のエンディングで光の中へ入っていき、1の最初のシーンに繋がるの、素晴らしすぎて感動した。第1弾の主題歌のタイトルが「光ノ先へ」なのが、第3弾のこのエンディングを見越したうえでだったら、計算され尽くされてる!ここの平野さんの演技が、東京公演から京都公演にかけて変わった気がしたんですけど、配信期間終わっちゃったから比べられないよぉ。京都公演の方が『前向きに進む覚悟』を感じられた気がした。


・国の豊かさと心の貧しさ
 劇中で「国の豊かさと人の心の豊かさは必ずしも比例しない」って言葉が出てくる。
 国の豊かさ(=GDP)は日本3位なのに対して、自殺率は先進国G7で日本がトップ。今の日本は食べる物には困らないけれど、誰もが寂しさを抱えていて、自ら死を選ぶ人が多い世の中になってる。

 少し話は逸れますが、2022年に高校の国語の授業が大きく変わります。簡単に言うと、小説に触れる機会が大幅に減る可能性がある。
 背景には読解力の国際順位が8位から15位に下がったことが理由で、読解力とは、小説に出てくる主人公の心情を読み取るだけでなく、テキストに書かれている内容を読み取り、意味を理解する能力を求められている。
 つまり、人の気持ちを読み取るより、論理的思考が重要視されているということ。文学作品が、契約書やグラフに変わってしまうんだよ。

 北原白秋が生前に力を注いでいた、詩と歌を使って子供たちへ情操教育を行うことが、国に否定されている現状なんです。だから今回、北原白秋をキーパーソンに据えたのかな、とも思った。


北原白秋(と小道具の使い方)がすごい!
 関東大震災で人々が死んでいく地獄を見たのに、全てを包み込むような世界観の詩を書き、多くの心を救った人。白秋は太宰に「醜いものを見て『醜い』と言うのはたやすい。醜い世界を見ていたとしても、優しい世界へ人々を導く。そういうことを僕はしたい」と言っていた。そんな人物だから芥川は白秋に惹かれたし、中原中也も白秋の「からたちの花」に潜書したときに、子供時代を思い出して、太宰も懐かしい気持ちになった。

 あと、細かな点だけど、冒頭のあたりで、白秋が侵蝕者に憑りつかれた際、皆が「見た目が白秋さんだから戦うのに抵抗がある」って戸惑うのね。そして最後のあたりで、侵蝕者が殺された萩原朔太郎に成り済ますの。普段の白秋なら、絶対『あれは朔太郎じゃない、侵蝕者だ』って気づけるはずなのに気づけないのは、それだけ朔太郎の死はショックで大切に想ってたからだと思う。そして、朔太郎の姿をした侵蝕者に白秋は殺される、っていう最期がめちゃくちゃ切ないし苦しい。
(「侵蝕者は学習する」ってのもここで表現されてるのかな?)

 北原白秋といえば「この道」という童謡。劇中に2回出てきます。
 特に1回目の演出が細かいの。
 教室の情景(=白秋が子供たちに行った情操教育)
 小学校の椅子(=懐かしさ)
 椅子で道を作る(=幼少期から進んでいく過程)
 それだけでなく、史実にある「犀星が朔太郎を助けるために椅子を振り回した」ってエピソードと上手く絡めて椅子を使ってるあたりも、ほんとうに小道具の使い方が上手い!
 2回目は、輪廻転生する先の未来を指し示していた。この最後のシーンでこの曲をBGMにするの、ほんとうに泣けるから助けて欲しい。


・文学に対する太宰と白秋の対比
 白秋は「文学は個人的なもので文学が無くても生きていける。書きたいものだけを書いていたわけじゃない(=プロパガンダに利用された)」と言う。
 それに対して太宰は「文学は空気。無かったら死ぬ!書きたいものを書かないなら、それは文学と呼べない!!」と真っ向から反論する。
 真逆の考え方だけど、そんな太宰の考え方に白秋は「書きたいものを書けばいい。それが個性なのだよ」と認め、受け入れてくれるのは新ロマン主義の人だからなのかな。新ロマン主義個人主義に近い傾向があるし。

 ここで主義について簡単にまとめてみました。
 全体主義:個人の権利や利益を認めず、全てのものを国家の統制下に置こうとする主義
 国家主義:国家が最高価値とし、個人よりも国家に絶対の優位を認める考え方
 個人主義:個人の意義と価値を重視し、権利と自由を尊重する立場や理論

 白秋がプロパガンダに加担した経緯の中で「国の力は強大なのだよ。文学者である前にこの国家の中で生きている。だから右を向けと国家が言うなら、右を向かねばならない。その力に抗えばその代償は高くつく」って言葉は、戦時中の全体主義国家主義を指すだけでなく、演劇に携わる作り手側の国への怒りを白秋のセリフにのせ、今の政府と演劇界との関係を伝えてるんだと感じた。国家の中で生きている以上、国が「生きるために文化芸術は不要だ」と言えばそれらは無くなってしまう。さっき書いた、国語の授業だってそう。
 そんな状況下で、敢えてこのようなテーマを含んだ舞台を作った制作陣の強い意志に私は惹かれるし、救われた。


・OPの演出
 吉谷さん演出のOPって、OPを見るだけで作品の全容がわかるように作られてるのね。今回も本編を最後まで見終わってもう一度OPを見たら『うわぁ、最初から最後までのストーリーが表現されてる!』ってなった。

・アンサンブル=ブルズさんの動き(9/30修正)
 ブルズさんの存在ありきで成り立ってる舞台だと思った。時には侵蝕者に、時には文豪の心の表現に、時には関東大震災で亡くなった人たちに、無機物の本棚にまでなる。その時々で姿を変え、舞台を支えてくれるブルズさんの存在に感謝です。ブルズの町田さんがTwitterで、各キャラクターと対峙する時、ちゃんと各キャラが引き立つように演じてたのを解説してくれてるの。これは一読の価値あるから見てほしい。アカウントは町田尚規さん@11mati10です。


・糸の演出意味
 3では侵蝕者の親玉とその手先が糸で繋がっていて、糸が負のエネルギーを与えるツールになっていた。それが最後のシーンでは、殺された文豪達が太宰へ想いを伝えるためのツールに変化してました。
 だから1ではあの糸は蜘蛛の糸となり、芥川と太宰が生きるためのツールに繋がっているっていう、ね。
 糸に意味を持たせるシリーズ一連の流れが凄い。個人的に自転車が出てこなかったのが心残りです(笑)

・北原一門と中也の武器が銃の理由(9/30修正)
 詩人達の武器が銃なのは『短い言葉で強い思想を伝える』という表現なのではないか。白秋の武器で銃口が二つなのは、詩と童謡のWの意味?それか北原白秋山田耕筰の2人を指してるのかも。両手で撃つ二丁拳銃なのは、おそらく弟子である犀星と朔太郎の表現だと思う。


・望んでいないのは誰か?
 館長が「有碍書は望まれていない存在。望んでいないのは誰なのか、主体を考える必要がある」と言ってた。作家が望んでいなくても、大衆が望んでいるものを書いたのが芥川龍之介(アニメより)。作家が望んでいなくても、国家が望んでいるものを書いたのが北原白秋(舞台より)。
『じゃぁ、今、コロナ禍で文化芸術を望んでいないのは誰なのか?』
 って疑問を、観る側の頭の中に自然と浮かばせたのは、作り手側の巧妙なテクニックだなと感じた。

 

・持つ者、持たざる者について(R3.2.24追記)
 物語上では、芥川に尊敬されている北原白秋を「持つ者」
 芥川に憧れているのに一向に見向きもされない太宰治を「持たざる者」
 として描いていた。
 ここには現状の社会情勢も描かれているのではないか?コロナ禍で顕著になった貧富や権力の差。富や権力を持つ者が支配し規制を作ることで、それらを持たざる者との格差がより一層生まれる社会。それを風刺した描写ではないか?演劇は持たざる者の立場だけど、太宰の言葉を借りて『持つ者から富と権利を奪いに行くぞ!』という気概、それを暗に伝えたかったのかなと思った。


・奪うことは悪なのか?演劇は悪なのか?(9/27追記)
 太宰にとって憧れの芥川。その芥川が憧れる白秋に太宰が嫉妬するシーン。太宰は「芥川先生も『羅生門』で奪うことは人間の業って言ってたもん」って話をしていた。芥川の「羅生門」しかり、劇中に出てくる関東大震災しかり。太宰の「斜陽」や「女生徒」も指摘されてた。けど、自分が生きるために人から奪うのは果たして『悪』と呼べるのだろうか。演劇が存在することで、私のように生きる希望を見出す人がいるのであれば、それは『悪』じゃないんじゃないのか?
 芥川が太宰に「この先の世の中で、白秋さんの作品が必要ないと言われても、自分は白秋さんの作品に救われたから守りたい」と言っていた。それは国から「不要不急で必要ない」と言われた演劇を含めたエンタメにも通じる話なんだろうな、と感じた。この世の中で演劇が「悪」だといわれても、私にとって演劇は生きるための「必要悪」だと言い続けたい。

 

・コンコンコンコン(9/30修正)
 太宰が芥川の部屋を訪れるときのノックのやりとりが、第1弾の志賀と武者のやりとりを踏襲していた。1で武者が「コンコンコン志賀」って言って、志賀が「チンチンチン武者」って言って、二人でプチ喧嘩始めるところめっちゃ可愛くて好きだったからうれしい。少し真面目な話をすると、マウスシールドで煙草が吸えない表現は、生きるために必要のない嗜好品(演劇含め)が奪われた描写なのかもしれない、と思った。

・照明の色で伝わる有碍書(9/27追記)
 最初に白秋の「からたちの花」が有碍書になった時、緑色の照明がセットに照らされていた。その後、乱歩の本「怪人二十面相」が有碍書になった時、ピンク色の照明が照らされていた。乱歩の作品が侵蝕されているタイミングで、再び白秋の作品が侵蝕されるんだけど、ちゃんとセットの照明が緑色とピンク色両方で照らされていて、同時に侵蝕されているのが見てる側にも伝わった。

・鈴の効果音の意味(9/27追記)
 劇中で鈴の音が聞こえるシーンがところどころある。どのシーンで鳴るのか気になって、「何分何秒」「セリフ」「意味」を一覧化して書き出してみたんだけど、結局答えは出なかった。吉谷さんが音響さんに『きっかけ(音)が多くてすみません』って言ってたから特に共通の意味はないのかもしれない。
 けど、大事なシーンで必ずこの効果音が聞こえてくるから、観客の注意を惹きつける役割なのかなって思った。逆に館長の効果音はキーンとした金属音で、冷たさや軍隊の規律をイメージさせてた。

・引き戸で表現する現在の場所(9/27追記)
 今、文豪達がいる場所は、本の中なのか図書館なのかが、本棚にある引き戸の開け閉めで表現されてた。開いているときは図書館。閉まっているときは本の中。


中原中也の幸せな最期(9/27修正)
 前半で中也は「白秋は生きてるうちに認められ、皆に愛されてて羨ましい」と言っていた。その言葉が後半で自分が死ぬとき、白秋一門の皆に抱かれながら息を引き取ることに繋がっていた。
 史実の中也は、身近な人がどんどん死んでいき精神を病んで亡くなったから、転生したこの世界では仲間のために戦い、仲間に見守られながら息を引き取ることが出来て良かった。

 中也って、孤独だから愛されたい。生前認められなかった分、認められたい。でもそれを素直に言えず、孤高の立ち位置にいる。だから最期みんなから愛されて認めてもらえて、孤独から救われるストーリーが本当に素敵でした。
 中也も第1弾に転生させてくれて、太宰や芥川や無頼派に出会わせてくれてありがとうございます。

・仲間の存在が死を回避させる(R3.2.24追記)
 中原中也が死ぬ覚悟で館長と戦うシーン。第2弾の有島を彷彿させたけど、有島には白樺派という仲間が居て、芥川が居たから死ぬ戦い方から生きる戦い方に変わった。
でも中也は白秋一門にも属さず、宮沢賢治も存在しない世界でたった一人だった。だから死ぬ戦い方を止める人も居ない中、館長に殺されてしまったのではないか。

 

・朔太郎の最期(9/27追記)
 東京初日では、朔太郎が亡くなる時、朔太郎の胸の辺りで犀星の手を握っていた、と思う。配信終了したから自信ない。それが京都公演では手をあげて犀星の胸元で握る演出に変わっていた。おかげで朔太郎と犀星が手を握るシーンがより観客にもわかりやすくなってたと思う。

 

・没時の布で想いを伝える(9/30修正)
 中也が亡くなった時、芥川が垂れ幕を大切に抱き去っていってた。その姿に亡くなった中也の亡骸を抱く芥川の幻影を見た。朔太郎が殺されたときの中也もしかり。順番に全員が殺されていくたび、そうやって仲間が大切な文豪の死を悼む姿に、亡くなった者の想いも、誰かの心の中で受け継がれていく姿が描かれていました。
 だから最後全員殺されたのに、「いきろ!!」と叫び、銃口や刃を客席に向けて撃つ(斬る)姿は、まさしく魂の叫びだと感じた。そしてその想いが太宰に届き、国家を倒す演出が本当に素晴らしくて素晴らしくて。《人の想いが人を生かす》って表現がまさに伝わってきた。ここのシーン、迫力が凄まじくて毎回泣きすぎて冷静に見れない。

 
・シリーズから見る芥川と乱歩の立ち位置
 1~3まで全作品に転生している芥川と、1と3にだけ転生している乱歩。
 第1弾で乱歩の立ち位置が凄く気になってたのね。何か全体を知っているような口ぶりと、物語を進めていくストーリーテラー的役割。なぜなんだろうって疑問に思ってたけど、今回の作品を見て、3と1に共通して出演している芥川と乱歩だけが、3の記憶を残していたんじゃないのか、と思った。3の最初で、太宰に侵蝕者についての謎を説明するのもこの二人だし。
 芥川は3で「もう何十回何百回と地獄は見てきたのだから」と言うことで、これ以外の世界へも転生しているのを示唆しているのかもしれないし、それを観てる側にもわかりやすく伝えるために、1~3まで全て転生しているのかなと思った。個人的にミステリー作家として、謎を解明しようとする立ち位置の乱歩さんのおかげで、3を初めて見る人もストーリーを理解できたと思う。わごぽ(和合さんの乱歩)めっちゃスキ。鞭で打って欲しい(笑)


・最後に朗読劇を2回挟む意味
 ごめんなさい、ここの考察が私の中でもまだ腹落ちしていない。
 9/27時点での考えを書きます。

 白秋が「心を押し殺し、自分の志はしまい込んで」って言うのがきっかけで1回目の朗読劇が開始される。感情がこもっていない淡々とした朗読劇が始まり、舞台の上にいたのは役者の姿で文豪ではなかった。そこから少しずつ、役者に感情が入っていって、朗読劇の最後では穏やかな白秋が魂となって昇華していくイメージを持ちました。
 だからこそ、その次のシーンで白秋や仲間たちの魂を宿し命を受けて立ち上がる太宰治の強烈な存在感が際立ってた。

 2回目は最初から文豪達の穏やかな朗読劇。文豪達が全員殺され、文学が消えた世界でも、誰かの心の中で作品は生き続けている。それは、その人の心の中に魂として文豪達が存在し、形は無くなっても文豪達の魂だけは生き残って存在している世界のイメージでした。そして「この道」がBGMで流れることで、この先に新しい明るい未来が待ってるのを確証させた。

 深読みし過ぎかもしれないけど、朗読劇を入れることで、幕が上がらず舞台稽古で終わってしまった可能性も示唆していたのかなと思った。

平野良氏という役者(9/27追記)
 平野良さんだからこそ作り上げた「太宰治」がいた。脚本家のなるせさんと演出家の吉谷さんの対談を読んで思ったけど、平野良さんって見終わった後に『平野さんだからこそできるキャラクターだ』って思わせる力を持ってるんだよね。
封神演義趙公明めちゃくちゃ楽しみにしてる!!
 やっぱり平野良さん演じる太宰治が主人公として存在するから、見ていて安心感もあったしスッキリした爽快感もあった。平野さんが太宰を演じてくれて良かった。シリーズの締めくくりとなる第三弾の主役が、第一弾同様、平野さん演じる太宰でほんとうに良かった。

 

 1〜3全てのキャスト陣、ブルズの皆さん、脚本家さんや演出家さん含めたスタッフさんのおかげで素晴らしい作品に出会えました。ありがとうございました。感謝感謝。志賀直哉役の谷佳樹さんの言葉を借りるなら、文劇への好きが溢れて『スキアフ』です。

 なのに明日からもう文豪達はこの世に存在しないかと思うとめっちゃ泣きそう….°(ಗдಗ。)°.会いたい。文豪達に会いたいよぉ。

※この感想を書くのに史実を調べ、配信を何度も何度も繰り返し見て、いろんな角度で考察し、書き上げるのに40時間かかった。それくらいの熱量で感想を綴りたくなる作品だった。

今はひたすら『もし志賀直哉武者小路実篤が3の世界に転生してたら』と『江戸川乱歩と侵食者 変ワリ者ノ狂想曲(カプリチオ)』の妄想で生きながらえてます(笑)

 

※ゲームやってなくてアニメと舞台のみで、文劇を見るにあたって関連資料を色々調べただけの人なので、おかしな点があればこっそり御指摘いただけるとありがたいです。