ジャニオタが勉強してみた

生粋のジャニヲタが、人生のお勉強をするブログ

集中内観7日目

12/24(日)7日目 クリスマスイブ
AM6時
起床。
いつもの笛のメロディも今日で聞くのが最後かと思うと切ない気分になってくる。
廊下の窓のカーテンを開けると、昨夜玄関に挟んであったメモが無くなってる。
見てくれたんだなと思ってホッとしながら、今日で最後なので、いつもより丁寧に敷布団と毛布を畳んでクローゼットに片づけました。
そしていそいそと続きの計算を始める。

 

その時にまた、難問が…

<<学費がいくらかかったのかさっぱりわからない>>

中・高・大の学費が、いくらかかったのか全然わかれへんねん!
中・高なんて漠然とした予想すらもつけへん。

ちょっと待って、水道代や光熱費はなんとか親と同居やから知らなくても許される部分もあるかもしれんけど、学費がわからないって子供としてどうなの?
親がわざと教えなかったんやと思うけど、調べればすぐにわかることやん?
この年になってまで、自分で学費がいくらかかったのか調べようとすらせず、調べることすら思い至らなかった未熟さっていうか、親が払ってくれて当然と思っている甘えの部分に気づいて、めちゃめちゃ申し訳ない気持ちが溢れて息苦しくなってくる。

 

しかし具合悪くなってる場合じゃないし、タイムリミットは9時やし。
試算例に公立の学費が載っていたので『私立やと倍ぐらいかなぁ』なんて思って中高6年間で200万ほどで計算してみる。
※帰ってきてネットで調べたら公立と私立の差は2倍じゃなくて4倍以上あって、中高6年間で5~600万ぐらいかかっているらしい。えぐい。

地元の中学が荒れていたとはいえ、恵まれた環境に身を置かせてもらっていたことについて本当に感謝するとともに、勉強もせず遊びほうけて「○○ちゃんも持ってるし、私もブランド物が欲しい」とか散々言ってた自分が情けない。
でも個性豊かな友人や先生に囲まれて、勉強にとらわれず長所を伸ばして伸び伸びと自由に生きれたのは、掛け替えのない6年間でした。
私の個性を尊重してくれた両親に感謝の気持ちがいっぱいになった。


そして次は大学の学費。
これもいくらくらいかかるんか全然わかれへんねん。
でも、櫻井翔くんのドラマの放送があった時に「奨学金を借りたら1000万の借金を背負うということ」っていう記事を見たし、4年間で1000万ってことか?
いや、でも、なんとなーく父親の手取りが学費で全部消える、みたいな話を聞いたことあるし、ってことは年間300万ぐらい?
いやいや、なんかママが授業料が70万って言ってたような気もする。
え、それって前期だけ?前期後期合わせての金額?
もうっ!情報が錯綜して全然わかれへんねんけどーー!!!

スマホ!今すぐスマホをください!!

ってか、それより、中高もそうやけど、数百万単位でお金を出して貰ってるのに、いくら払ってもらってるかすらわからない知らない、自分が親に甘えすぎやし最低だと思う。
クズすぎる、終わってる。

とりあえずうちの学部、ほかの学部より高いって有名やし、1200万で報告するか。
※帰ってきてネットで調べたら年間130~140万ほどなので6~700万でした。
確かに上記考察の中間値を取ってる数値やね。


AM6時50分
いつもより早い時間からテープが流れ始め、聞いていると最終日の案内テープだった。
今、研修所にいるのは私一人やしな。
テープの内容は内観を深めるためには、一番しんどいやり方でやるのがよい。
寒かったら裸でやる。
生か死かその状態で必死にやることで自分が変わる。
人生が変わるということは命を変えるということ。
という内容でした。
聞きながら『昨日の夜、死んだからね…』なんて思ってました。


AM7時15分
朝食が出てくる。
『あれ?メモ無くなってたのに、朝ご飯出てきた』と思いながらも、目の前にあったかい料理が出されると、やっぱり食欲は湧く(笑)
鮭かま・おひたし・海苔・豆腐とねぎとえのきの味噌汁。

御飯を食べ終わって、歯磨きしながら外を眺めると今日は天気が悪いみたい。
毎日この時間に歯磨きしながら外を眺めてたんね。
そしたら、ちょうど朝日がいい具合に木々の間から覗いてきて、それを見るのが楽しみやってん。
そっか、雨の日もあるのか、そして明日の天気すらスマホが無いとわからないのか、という当たり前のことに気づく。


AM8時半
養育費の計算もあらかた終わった。
9時まで時間があったし、母がしてくれた習い事の送り迎えを金額に直したらいくらになるかを、補足で計算してみることに。
小学校時代だけでかなりの数の習い事をしてて、1日3つ習い事が重なってる日とかもあったんね。
やけど、全部母が自転車の後ろに乗せて送り迎えしてくれてたの。
それをタクシーに換算したらいくらになるかを計算してみた…
案の定、えげつない金額になりました。

 

しかも、計算しててふと思ってんけど、送り迎えってことは、習い事の場所まで送ってから家に戻って、また迎えに行って家に戻るから4回行き来してるわけやねん。
特に塾の夏季・冬季講習の時なんか、朝9時に塾まで送って行って、夜6時に夕飯の温かい出来立てのお弁当を持ってきてくれて、夜9時にもう一回迎えに来てくれるの。
つまり家から塾まで片道2.3キロの道を6回!
約14キロを毎日自転車で送り迎えしてくれてた事実に気づいて、親の愛情にめっちゃ泣いてしまった。


AM8時55分
面接。養育費の計算報告。
「居住費を計算したら○千万になったのを見て、父が怒ったらよく『文句あるなら家から出ていけ!』と言っていたことに対して『親の権力を盾に振るいやがって。子供が出ていかれへんのをわかってそんなん言うなんて卑怯や虐待や!親やからって偉そうにすんな!!』って言い返してましたが、この金額を見たら”そりゃ言うわ”って納得しました。こんだけの資産を提供しておいて、子供が偉そうな態度を取ったら怒って当然ですよ」という報告をしました。


何かの新聞やテレビで「1人の子供を育てるためには3千万~5千万かかる」って聞いててんけど、それって実際の出費額だけなんよね。
家に住まわせてもらっている家賃や、御飯を作ってくれている手間賃、部屋を掃除してくれていることや送り迎えをしてくれていること、体調が悪い時のケア等等、それらは親から無償でしてもらってることやねん。
それを金額に換算したら億は余裕で越えてるし、それだけの愛情を親は無償で注いでくれていたことに気づいて胸がえぐられる思いでした。


AM10時15分
面接。母に対して0歳~6歳。
「当たり前のように愛情を注いでくれたこと。難産な中、産んでくれて、安全で美味しい御飯を毎日三食作って食べさせてくれて、洋服も沢山手作りして着せてくれたこと。箸の持ち方ひとつにしても、厳しく躾けてもらったこと」を報告する。
気づきとしては、「お箸の練習を”させられた”」ではなく「練習”させていただけた”」って自然と言葉に出てきたことにびっくりしたし、「母が”怒って”」ではなく「母が”叱ってくれて”」と言葉に出てきた。


AM12時
最後の面接。父に対して0歳~6歳。
最初、母に対して小1~3までやろうと思ってんけど、あんまりいいのが出てこなくて、最後の面接やのにこんなふわっとした感じじゃいかんな、と思って父に対しての自分を調べることに変更する。

考えていると、私が生まれた時、ちょうど父は今の私と同じ年齢やってん。
この年になってようやく娘が生まれたなら、きっとずっと一緒に過ごして成長過程を見ていたかったと思う。
けど、バリバリ働かなあかん中堅層で無理せなあかん時期で、毎日帰ってくるのが遅いし子供の寝顔しか見れてなかったんやろうな。
そんな滅多に顔を合わせない父に対して私は全然懐かなかったな、と。
からしたら家族のため、子供のために頑張って働いてるのに、子供が懐かないのは寂しかったやろうな、って思った。

 

それと幼稚園の時に家を改修したことを思い出して、改修工事したのは今でも普通に覚えてるんやけど、それって子供部屋を作って夫婦のための家から”家族のための家”にしようという意図があったんじゃないのか、ってことに気づいたんね。
こういうのってネットで調べても載ってないことやし、親から『お前のために建て直してんぞ』なんて言う親でもないし、自分で考えて親の愛情に気づいていかないといけないことなんよな。
それが相手を思いやることに繋がっていくし、もっと両親含め周りの人からの見えなかった愛情を探して感謝していきたい、と思った最後の面接でした。


AM12時10分
昼食。
五目寿司とお味噌汁。
どうやら奥さんは東京に行ってて不在らしく、所長が御飯を運んでくれる。
そして「19時頃に家に到着するには、研修所を13時半頃出発する必要があるので、最後の手続き等のため13時には出れる状態にしてほしい」とのこと。
(中間面談の時に「最終日は何時に解散ですか?家が遠いし月曜から仕事で洗濯もしたいので、19時頃には地元の駅に着けるようにしたいんです」と伝えてあったんね)

アンケートも渡されて、後で提出してほしいと言われる。
アンケートの内容は受講したきっかけや感想等でした。
さらさらっと真面目な内容も書きつつ、「電気毛布めっちゃありがたかったです!!あれがあったので最後まで乗り切れました!!」と電気毛布信者のごとく熱い感想も書いておく。
ほんまに初日に渡されたあの電気毛布で身体も心も救われたからな。


お昼御飯を急いで食べていると、最後のテープが流れる。最後ももちろん柳田さんのテープ。
柳田さんの話って、めっちゃ惹きつけられて声だけでエネルギーが伝わってくるねん!
もう亡くなってしまって会うことは叶わないけど、こんなに力強い思いを持った方がいらっしゃることに感銘を受けたし、帰ったら柳田さんの本を借りようと思った(笑)

そんな柳田さんの最後のお話。
めっちゃ聞きたい!けど、出発の準備が!
けど、やっぱり聞きたい!めっちゃええ話してるねんもん(笑)

というわけで、12時50分まで必死にノートにお話をメモる。

 

ものの考え方とヒントについて。
生きるとはエネルギーを使うこと。エネルギーを使う質によって病気になる・ならないが決まる。
人間が活力をもって生きるためには、自分から出たエネルギーは他で生きるエネルギーに変わることを知る。
自分が発したエネルギーは他者に伝わって他で燃える。
私から出たエネルギーを貴方は受けるが、私はそのエネルギーが貴方から返ってこなくてもいい。
私は貴方がこの後、家に帰ってどうするかわからないし、わからないことを心配しても仕方がない。
「思う」というのは期待することであり、期待が外れるからしんどくなる。
エネルギーが返ってくるのを考えたら、返ってくるか心配になるし、帰ってこないと嫌な気持ちになる。
自分が出したエネルギーの行方を心配するから悩むし、だからこそ計算のない打算のないエネルギーを出すべき。
こうしたら相手はこうしてくれるだろうとか思わず、相手に対して無償でエネルギーを送るのが自分の活力につながる。


仕事について。
1万の仕事を貰ったら100万の価値の仕事をする。そしたらその時は1万しかもらえないかもしれないが、次の仕事に繋がる。
そうすれば1万の仕事が2万の仕事になり、どんどん仕事の価値が上がる。
1万の仕事を1万の価値しかしなかったら、延々と1万の仕事が続いていく。
では、どうやって100万の価値の仕事をするのか。誰も出来ない付加価値をつけて100万の仕事をする。
よく「人が嫌がる仕事をやりなさい」というが、その本質はそういうこと。
人と同じ仕事をやっても人並みの生活になる。みんながやらない困っていることをやることで付加価値をつける。


AM12時50分
めっちゃ話を聞いてメモりたいけど、荷造りせなあかんし。
泣く泣く片づけ始めて10分で荷造りして掃除して…って、終わるはずもなく。
1時に所長がやってきたので「すみません!!あと5分で終わります!ほんとすみませんっ!!」と全力で謝って、なんとか1時5分に玄関から久々の自分の靴を履いて事務所へ向かう。
普段散歩するときは、外の渡り廊下に置いてあるサンダルで出かけてたから、一週間ぶりのマイシューズ!


PM1時10分
事務所で所長と私、それぞれマイクを持って、感想をテープに吹き込む。
中間面接を受けたことで受講意識が変わったこと、原稿用紙に父の不満を書き出すことで自らの内観に集中できるようになったこと、父に対する認識や自分の未熟さについて思い知ったこと。
などなどをお話ししました。


PM1時25分
テープの録音が終わり、ダビングを頼んでいたテープとCDをいただく。
めっちゃ欲しかった26歳女性のテープは個人情報の関係で渡せないとのことだったので「あの人のテープめっちゃよかったです!私も電車で横入りされたり、うとうと寄りかかられたらイライラするので共感してたんですよぉ。やのに、私より10歳も年下なのに、あんなふうに考え方が変わるなんて。あの人めっちゃ感動しました!あの人すごいです!!」って熱く語ってたら『あぁ、あの子、漫画家になったんですよ。これ描いてて…』って本棚から取り出された漫画を見て思わず大声で

<<えぇぇ!!!「お○ふり」やんかぁぁぁ!!!!>>

って、叫んだよね(笑)
『ご存じですか?』ってきかれて「知ってますよ!原作も途中まで読んでたし、アニメも見ました!めっちゃ有名な漫画ですやん!!確か、みはしくんが主人公でしょ?うっそ、あの26歳の子がお○ふり作者?!えっ、最大級の衝撃でした」
とびっくりしたわ。
※研修所のサイトにも漫画家さんの名前が載ってるから大丈夫かなとか思うけど、個人情報に関わるかもしれないので念のため略語タイトルのみで伏せておきます。


PM1時35分
事務所でようやくスマホを返してもらう儀式。
やけど、そこまでめっちゃ『あぁぁぁ、念願のスマホぉー!!スマホくれ!スマホ!はよはよ!死ぬ!』とはならなかった。
どっちかっていうと『あー、スマホやぁー。久しぶり~』みたいな感覚。
デジタル断ちに慣れてしまったのかも。
電源を入れると案の定、鬼のように通知がひっきりなしに届いたのでめんどくさくなってカバンの中に突っ込んでしまったし(笑)


所長の車で研修所を後にする。
あの満天の星空ももう見れないのか、と思うとめっちゃ寂しくなる。


車の中では、所長と他愛ないお話をさせてもらったんやけど、所長もそうやけどほんまもんのカシコとかカネモってやっぱすごいな、と。
ノーベル賞とか皇族とか、そんなんが当たり前に存在する世界やねん。
カリカリしながら必死に勉強して、試験に合格したり満点取って、人と比べて勝った・負けたって一喜一憂してるような、チンケな人間の自分が本当に醜くて情けなくなった。


PM1時55分
駅に到着。
所長に全力でお礼を伝えて、奥さんにもよろしく伝えてもらうよう伝言し、感謝の気持ちでめっちゃ頭を下げてお別れを告げる。
柳田さんの「もう二度と会うことはない人に対して私は話をしている」という言葉を思い出して、その時にできる全知全能全生命力をかけてお礼を伝えた。


電車に乗ると、目の前に3人掛けの席を2人で占領して爆睡している男の子二人組が目に入ってさ。
普段なら『マナー守れよ!あなた達のせいで座られへん人がおるやろ!』と心の中でブチギレてるんですが、頭の中で26歳女性(某漫画家)の言葉が頭をよぎって『彼らも疲れてるんだろうなぁ、しゃぁないか』と思ってみる。
まだまだ未熟な私は自然には思えないので、敢えてそういう風に考えるように意識してみた。


そのあと初東北新幹線に乗って3人掛けの席に座った時に、隣の座席が空いてたんね。
で、荷物があったから無意識に手荷物を置きそうになって
『はっ!これってぬすみではないのか?!』って頭をよぎった。
私は1席分しかお金を払ってないのに、自然と隣の座席に荷物を置こうとしてしまっててん。
うそとぬすみについて調べてた時は「大人になってから分別ついてるし盗みなってやってへんで」って思ってたけど、めっちゃナチュラルに盗んでるやん!
うそとぬすみについて調べたおかげで、無意識の盗みについて気づくことが出来ました。


帰りの東海道新幹線でも異変が。
新幹線に乗るのに、一切お酒を飲もうという気がわいてこぉへんねん。
新幹線と言えばお酒!
プレミアムフライデーには意気揚々と「#ビールクズ」のハッシュタグを使って新幹線で飲んでいたわたくしですよ。
コンサートで遠征した帰りには、新幹線で飲むところまでがアンコールに含まれているわたくしですよ。
そんな私が、新幹線に乗ったのに全然お酒を飲みたい気持ちにならない。

そもそも、母の生前は飲み会でしかお酒は飲まなかったのね。
けど、母が亡くなって、家に帰っても誰とも話す相手もいないし、何をしていいかわからなくて、お酒を飲んだら気持ちが紛れるかと思って飲みだしたのがきっかけでさ。
そこから気がつけば、足りない気持ちを満たすためにお酒を飲んでたし、何か嫌なことがあればすぐお酒に頼って逃げてたんやと思う。
以前みたいな、お酒に対する依存度が明らかに減っていることに気づきました。


そんなこんなで、新幹線ではリンゴジュースとリンゴアイスをいただきながら、溜まっていたツイッターやらメールやらを確認しつつようやく家につく。
父へは不在時に送った洗濯物を洗濯しておいてくれたことに感謝を伝え、餃子が好きなので買ってきた宇都宮餃子をお土産で渡し、クリスマスイブなので新大阪のコカルドで買ってきたクリスマスケーキを食べました。

穏やかな日常(笑)

他は特に何か変わったわけではないけど普通に過ごしたよ。
次の日からまた仕事やしね。


研修の余韻に浸る余裕もなく、持って帰った着替えの洗濯をして、Mステスーパーライブの編集作業。

自担が相変わらずイケメンで一週間ぶりの動く自担にアドレナリンが大爆発する(笑)やっぱりイケメン見るって大事。生きてる感覚がする!

修行をしてもジャニヲタの煩悩は消えないことが証明されましたw

 


次回最終回「通常出勤。世界はどう変わったのか」です。
お楽しみに☆