ジャニオタが勉強してみた

生粋のジャニヲタが、人生のお勉強をするブログ

集中内観3日目

12/20(水)3日目
AM6時
起床。
具合悪いのは寝たら直るかと思ったけど、起きても頭が痛いし吐き気もおさまらないし、このまま布団で寝ようかとも思うも、せっかく修行に来たし、具合が悪いなら屏風の中で横になろうと思って、ふらふらしながら布団を片づける。
ヒーターを見たら「灯油切れランプ」が光っているので、昨晩置いた”ご飯の量を少なくして下さいメモ”の上に、”灯油が切れたので補給して下さいメモ”を置いて屏風の中にこもる。
屏風の中で灯油を変えてくれている気配を感じてホッとする。


AM7時15分
朝食。
にらたま・海苔・白菜の味噌汁。
具合が悪くてあまり食べる気力はないけど、にらたま食べたら元気出るかな、と思って食べてみる。御飯の量は減らしてもらってたし。食べ始めたらなんとか完食できてホッとした。
テープはこの施設を作った柳田さんのお話。「成績は親との合作」という言葉が胸に突き刺さる。私が習い事や勉強で結果を出せたのも、毎日私を自転車の後ろに乗せて送り迎えしてくれた母のおかげやし、社会人になっても勉強に集中できたのは母が家の掃除をしてくれてご飯を作ってくれたおかげなんだよなぁ、って改めて思い出してました。
なのに私は、その結果を『私が頑張ったからや!』と思っていた自分はなんて浅はかなんだろう、と。

ただ、10年以上前のテープやから柳田さんが「人間は哺乳類だから母乳を飲ませないと非行に育ちやすい」みたいなことを言ってて、メルカリ偽母乳事件を思い出して『おいおい、それは今の時代で言うたら新米ママを追い詰めるで』と突っ込みそうになったけど(笑)


AM8時55分
面接。母に対して28歳。
母は私だけでなく、私の友達や周りの人に対してもめちゃくちゃ優しくて気遣いしてくれたことを思い出して、それと同時に社会人になっても飲んで遅くなるたび迎えに来てもらって、飲みすぎて酔っぱらって吐いてるのをめっちゃ心配してくれてたな、って思うと、また胸が苦しくなってくる。


AM10時半
面接。母に対して29歳。
母の死と向かい合わないといけない期間だったので、自分が母にしてきた無神経で数々の迷惑を思い出して、具合の悪さが最高潮に達する。
頭痛と吐き気に襲われながら、そのまま屏風の中でコートをかけて電気毛布の上に横になる。
冷えピタを持ってこなかったことを後悔して、奥さんに買い物をお願いしようかと思うけど、小さなころタオルを濡らして額に乗せて貰ったのを思い出してやってみる。
幼いころに看病してくれた母の姿とか思い出して屏風の中で泣く。
冷えピタが発売される前は当たり前のように濡れタオルを額に乗せていたことすらも忘れていた自分に気づく。


AM11時50分
面接、に来ていただくも、具合が悪すぎるので、屏風の前に「具合が悪いので面接は次に持ち越させてください」とメモを置いておいて飛ばしてもらう。
昼食もせっかく作ってくれたから無理やり食べようと思ったけど、手を付けて残してしまうと捨てるしかなくなるので、せっかく作ってくれたのに非常に申し訳ない気持ちになりながら昼食はお断りさせてもらう。
朝に具合が悪くなった段階で「昼食は不要」と伝えておけばよかった、そうすればわざわざ私の分の御飯を作らなくても済んだのに、めっちゃ申し訳ないことをした、と吐きそうになりながらめちゃくちゃ反省する。


AM12時
テープが流れるも具合が悪いのでそのままうつらうつらとお昼寝する。
喩えて言うなら、ちょうどテレビを見ながら親父がうたた寝してて、テレビを消したとたん「起きてる。聞いてた」っていうような状況に酷似してるなと思いながら寝てた。


PM1時
目が覚めたらだいぶスッキリしていて、頭痛はまだ少しするけど吐き気もなく、心なしかお腹も空いているような気がする。
18時まで晩御飯は食べられないけど、クッキーやらビスケットを持ってきているので、お腹が空いたらそれを食べればいいや、という安心感に助けられる。
『保険って大事!』と思った。
頑張ろうという気力が湧いてくる。


PM2時15分
面接。母に対して亡くなった時~現在まで。
昼寝明けはあんなにスッキリしていたのに、母に対する自分の酷いおこないや、今でも周りに対して攻撃的な自分を考えると、一気に具合が悪くなってきて、具合が悪いのは明らかに精神的なものであることが判明する。


PM4時
面接。父に対して0歳~6歳。
母と違ってほぼ思い出が出てこない。
母に対してはずっとべったりだったし、ママラブっ子だったし、母が亡くなった時からずっと母に対してのことを考えてたからスルスル出るんだけど、父は仕事人間で家にもほとんど居なかったし、めっちゃ仲悪くて母が亡くなるまで話すらしてない状態やったから。
でも、まぁ、今は幼い時のことを調べてるから出てこないだけで、大人になったら少しずつ出てくるんじゃないか、と楽観的に思うようにする。


PM4時45分
お風呂。
頭痛も軽くなって、吐き気も少し収まる。
ずっと風呂の時間だったら頭痛も吐き気もなくなるのに…
延々風呂の時間でいいよ。
なんて思いながら貴重な30分を過ごす。


PM6時55分
面接。父に対して小1~3年。
『この頃はまだ父と話してたなぁ』なんて思いながらゆるい思い出を話す。


PM7時
夕食。
ほうれんそうのお浸し、サバの焼き魚、もやしとあげの味噌汁。
運んできてくれた奥さんが食べれるか心配してくださって「お昼はすみませんでした。食べれる範囲でいただきます」と伝えて食べ始めると、12時間ぶりの御飯はめっちゃおいしくて、御飯を食べれるありがたさに感謝しながら完食。
やっぱり人は御飯がないと生きていけないことを改めて感じた。
テープは作家神渡良平さんの講演内容でした。
マザーテレサのお手伝いとして病院にいた時に、人間扱いされず生きてきた乞食がやってきて、怪我した部分から骨が見えていて、化膿した部分は蛆がわいている状態にも関わらず、その人を綺麗に洗って背中を撫でて、一人の人間として認めた時に、その乞食が涙を流して感謝した話。
その話を聞いて、私は人を人として見ていたのか、物としてしか見ていないんじゃないか、相手の状況や気持ちに寄り添うことが出来ない思いやりに欠けた人間なんではないか、と思いながらテープを聞いてました。


PM8時50分
面接。父に対して小4~6。
40分くらいだけどめっちゃ集中して考えることができた。
父との思い出を辿っていくうちに、その時、父はどんな気持ちでその行動をしたのかを一つ一つ探っていく感じ。
毎年家族旅行で遠出したことやたくさんの習い事を習わせてくれたことを話す。
子供のころは車酔いしやすくて、車に乗ったら10分で吐く子やってんけど、父は車が大好きでどこへ行くにも車なんね。
それが嫌で嫌でずっと「旅行=嫌なイメージ」やってんけど、父は子供に対していろんな場所に連れて行っていろんな経験をさせてあげたい一心で、忙しい仕事の合間をぬって毎年お盆の時期に仕事をわざわざ休んで連れて行ってくれたんだと思うと、少しずつ感謝の気持ちがわいてくる。
そして、私は小学校のころ、社会で習う地方の名産とかがすっごく好きで調べていたのは、父が旅行に連れて行ってくれてたからではないか、大人になった今でも旅行に行くと地方の名産をめっちゃ調べるのも、子供のころに色々なところへ旅行へ連れて行ってくれたおかげなんじゃないか。
車酔いして吐いて嫌な思い出しかなくて思い出さないようにしていたけど、本当は今の自分を形成する大事な思い出だったんじゃないか、って思い出に対する認識がガラっと変わった瞬間でした。


PM9時
就寝。
体調も良くなったので、布団の中で「わたし鏡」を歌う。
そこからやすくん作曲メドレーを歌い始める。
別館には私一人だから歌い放題!
そこからやすばについて妄想を始める。
それぐらい体調は元気になってた(笑)
亡くなった母親に対する山場を越えてストレスが無くなったからかもしれない。


PM10時
月は見えないのは判明したので星を見に外へ出る。
相変わらず綺麗で、また「わたし鏡」が頭の中で流れて安田の乙女っぽさにキュンとしながら眠りにつく。

 

次回「中間呼出。サボりがバレて大ピーンチ!」

お楽しみに☆