ジャニオタが勉強してみた

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「手袋を買いに」櫻井圭登氏 ListenGoと読奏劇の聞き比べ

櫻井圭登氏が読んだ「手袋を買いに」
ListenGoさんと読奏劇さんの聞き比べをしてみました。

長いので簡潔に言うと
ListenGoさんの方が淡々として大人っぽい口調、読奏劇さんの方があどけない口調でした。
あと、読奏劇さんの方が読み込んだ感じを受けました。

以下は全文を聞き比べた感想です。
著作権切れているので大丈夫だとは思いますがまずかったら要点のみにするので御指摘お願いします。

 

寒い冬が北方から、狐の親子の棲んでいる森へもやって来ました。
或朝洞穴から子供の狐が出ようとしましたが、
「あっ」と叫んで眼を抑さえながら母さん狐のところへころげて来ました。

ListenGoは優しいBGMが流れて朗読が始まるのに対し、読奏劇はまずヤカンがアップになってビジュアルで魅せていた。
ヤカンのお湯が沸いている『シュー』という音が、寒い冬の季節を表現し、なおかつ懐かしさや温かい柔らかさを感じさせていました。
また、櫻井氏が椅子に腰かけ、ベッドに向かって朗読をし始めるアングルだったので『絵本を読み聞かせる』という世界観も伝わって来ました。
同じ作品にもかかわらず、初っ端から『読奏劇だからこそできる演出をしてきたなぁ』という印象。


「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴早く早く」と言いました。

ListenGoの子狐は読奏劇に比べて大人っぽい口調。逆に読奏劇は高くて幼い声色。


母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。

『恐る恐る』の語尾がListenGoは上がっていたけど、読奏劇は下がっていました。


母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。

読奏劇はプロジェクションマッピングを使って、下からふんわりとした雪が舞い上がるように映し出されるのが、ふわっとした雰囲気ですごくよかったです。


その雪の上からお陽さまがキラキラと照していたので、雪は眩しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。

読奏劇では、下から舞い上がった雪が今度は上から緩やかにふわふわと舞い落ちる照明に変わるの。櫻井氏の茶ベージュ色のカーディガンが、ちょうど毛布や狐の毛皮のように見えて白い雪が綺麗に映えていました。
そして横顔をアップにしてベッドに向かって、にっこり微笑むことで優しい空気感が流れていました。
ListenGoはここでBGMが終わって場面転換。


子供の狐は遊びに行きました。真綿のように柔かい雪の上を駈け廻ると、雪の粉が、しぶきのように飛び散って小さい虹がすっと映るのでした。

『すっと』の部分をListenGoは『すーっと』と伸ばしているのに対し、読奏劇は『すっと』という表現の違いがありました。
プロジェクションマッピングでは、子狐が駈け回る表現を下から舞い上がる照明で、雪が飛び散る表現を上からふわふわと舞い落ちる照明で表現していました。


 すると突然、うしろで、
「どたどた、ざーっ」と物凄い音がして、パン粉のような粉雪が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。

ListenGoは『どたどた』をBGMで表現。読奏劇の方は櫻井氏が『どたどた』『ざーっ』『ふわー』等の擬音語をより濃く表現していました。


子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十米も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹糸のように雪がこぼれていました。

ListenGoは軽快なBGMが始まり、子狐が転がる様子を表現していました。


 間もなく洞穴へ帰って来た子狐は、
「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」と言って、濡れて牡丹色になった両手を母さん狐の前にさしだしました。

読奏劇は影絵の子狐が登場。ちゃんと喋って耳まで動く辺り、本当に生きているようでここでも監督の本気を感じた(笑)


母さん狐は、その手に、は――っと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
「もうすぐ暖かくなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」といいましたが、かあいい坊やの手に霜焼ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊やのお手々にあうような毛糸の手袋を買ってやろうと思いました。

読奏劇は母狐も影絵で登場。子狐よりふっくらした影絵で母親らしさがちゃんと出ていました。母狐のセリフもListenGoより読奏劇の方が柔らかい言い方でした。
ListenGoはここでBGMが終わって場面転換。


 暗い暗い夜が風呂敷のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮びあがっていました。
 親子の銀狐は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお腹の下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。

ListenGoは母狐の不安な雰囲気や夜の雰囲気が伝わるBGMが流れて場面転換。


 やがて、行手にぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて、
「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。

『落ちてるのねえ』の部分をListenGoは『落ちてるのね』に対し、読奏劇は『落ちてるのねぇ』と、より語尾が伸びてました。ListenGoより読奏劇の子狐の方が幼い設定なのかも。


「あれはお星さまじゃないのよ」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。
「あれは町の灯なんだよ」
 その町の灯を見た時、母さん狐は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思い出しました。

読奏劇はさすが読む劇!櫻井氏の演技で、母狐の表情が怖かった過去を思い出していることがひしひしと伝わって来ました。


およしなさいっていうのもきかないで、お友達の狐が、或る家の家鴨を盗もうとしたので、お百姓に見つかって、さんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
「母ちゃん何してんの、早く行こうよ」と子供の狐がお腹の下から言うのでしたが、母さん狐はどうしても足がすすまないのでした。

ListenGoより読奏劇の方が、子狐は早く町へ行きたがっている様子が伝わって来ました。読奏劇は子狐が母になって読み聞かせている設定だから、当時の感情を思い出してワクワクしているのかもしれない。
それとは逆に、読奏劇よりListenGoの方が、母狐の足が進まない表現に感情が乗っていました。ListenGoは読奏劇みたいな裏設定はないし、普通に小説を朗読しているからかも。


そこで、しかたがないので、坊やだけを一人で町まで行かせることになりました。
「坊やお手々を片方お出し」とお母さん狐がいいました。その手を、母さん狐はしばらく握っている間に、可愛いい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの狐はその手をひろげたり握ったり、抓って見たり、嗅いで見たりしました。

読奏劇で子狐の影絵がパーの手になった瞬間は『影絵だからこそできる表現方法だなぁ』と感動しました。考えた監督さん凄い!


「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、またその、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に円いシャッポの看板のかかっている家を探すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間から、こっちの手、ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目よ」と母さん狐は言いきかせました。

『それは人間の手よ』を読むところで、読奏劇は櫻井氏の嬉しそうで楽しそうな表情のアップが映されていました。おかげで子狐が人間の手になった時の嬉しかった感情が伝わってきた。
また『戸の隙間から』の時に明るい光がスーッと通り過ぎることで、扉が開いたのも視覚で表現されていました。


「どうして?」と坊やの狐はききかえしました。
「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴まえて檻の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐いものなんだよ」
「ふーん」

ListenGoの方が母狐の声音が少し硬く、読奏劇の方が少し柔らかかったです。『ふーん』の言い方は読奏劇はやんちゃ系、ListenGoはぼんやり系の言い方でした。


「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ」と言って、母さんの狐は、持って来た二つの白銅貨を、人間の手の方へ握らせてやりました。

読奏劇は母狐の影絵が小刻みに動くことで、母狐の必死さが伝わって来ました。


 子供の狐は、町の灯を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十にもふえました。
狐の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を閉めてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。

ここでListenGoも読奏劇も弦楽器のBGMが再び始まるんだけど、ListenGoは穏やかなBGMに対し、読奏劇はポップで軽快なBGMなので、子狐の心情が全然異なる風に感じました。
櫻井氏の読み方もBGMに合わせた読み違いがあったように思います。


 けれど表の看板の上には大てい小さな電燈がともっていましたので、狐の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで画かれ、或るものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分らないのでした。
 とうとう帽子屋がみつかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電燈に照されてかかっていました。

読奏劇は丸い照明が次々と横に流れていくことで、子狐が看板を見ながら電燈の下を歩いていく表現がされていました。


 子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
「今晩は」

ListenGoは比較的あっさりした挨拶に対し、読奏劇の方は声も高くて幼さが際立った読み方でした。


 すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
 子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手をすきまからさしこんでしまいました。

読奏劇では戸が開いたタイミングでゆっくりと照明が明るくなり、戸が開いたことがわかるようになっていました。
また『お母さまがだしちゃいけない』という個所は、ListenGoの方がより深刻な感じの印象を受けました。


「このお手々にちょうどいい手袋下さい」

ListenGoは恐怖に怯えたおどおどした声で、読奏劇は不安で震えた高めの声。やっぱりListenGoより読奏劇の方が子狐の年齢が低い印象です。
ListenGoも読奏劇もBGMが怖い音に変わったので、さっきまでの雰囲気と一転して子狐の不安な様子が想像できました。


 すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木の葉で買いに来たんだなと思いました。そこで、
「先にお金を下さい」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指のさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚から子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。

ListenGoはずっとBGMにドクンドクンという心臓の音が流れ、子狐の不安な心情を表現していたのに対して、読奏劇は櫻井氏が震えた手で白銅貨を隙間から出す映像が流れることで表現されていました。
ここは印象的なシーンだからこそ、櫻井氏の声だけじゃなく、各メディアの特徴であるBGM(聴覚=ListenGo)と映像(視覚=配信)で表現しているんだろうなぁと思いました。


子狐は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有ったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの」と思いました。けれど子狐はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
 ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何と言うおっとりした声なんでしょう。

『やさしい・うつくしい・おっとり』の3段表現時の最後に、読奏劇では櫻井氏のアップを映すことで、子狐が人間に出会ったときのインパクトも感じることが出来ました。


「ねむれ ねむれ
母の胸に、
ねむれ ねむれ
母の手に――」

ListenGoは櫻井氏の鼻歌、読奏劇はBGMに合わせた櫻井氏のリップシンク
しかも子狐のしっぽがまるで生きているように毛布の中からゆっくり出てくることで、安心して眠りに落ちていく様子が表現されていました。
ここからのきつねのしっぽ描写は本当に≪監督の本気≫だった(笑)


 子狐はその唄声は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。
 するとこんどは、子供の声がしました。
「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼いてるでしょうね」
 すると母さんの声が、
「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」

『優しい声でゆすぶってくれるからです』と言いながら読奏劇でベッドを見る櫻井氏の表情が本当に優しくて、まるでお母さんのようで、櫻井圭登氏から母性を感じました。この表情を伝えられるのが読奏劇ならではの良さ!


 それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳んで行きました。
 お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖い胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。

読奏劇で、震える母狐の影絵と戻って来た子狐が抱き合う演出は、影絵なのに母狐の心情が伝わって来て感動しました。
そして『よろこびました』のところで櫻井氏のアップになるところが物凄く好き。
気になったんだけど、文章の最後で感情を表すとき、度々櫻井氏のアップが使われるのね。
監督さんがこの演出方法をお好きなのかな?印象に残るので私も凄く好きです。


 二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖かい手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。

『暖かい手袋くれたもの』のところで、読奏劇では手袋がアップになり、それが最初に出てきたヤカンと同じ赤い色で、統一感もあったし暖色系だから暖かな気持ちになりました。


お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。

ListenGoの方は少し疑問に感じるニュアンスが含まれた読み方で、読奏劇は母が子狐に読み聞かせる読み方で違いがありました。
あと、ListenGoは最後のセリフの後に盛り上がるBGMが入るので感動して終わるのに対し、読奏劇は櫻井氏が実は母になった子狐だったというオチがスローモーションで表現されていて、シューベルトの子守唄がオルゴールの音で流れるから、愛情あふれる柔らかい終わり方でした。

 

以上、あくまで私的感想です。
最後まで読んでくださってありがとうございました。