ジャニオタが勉強してみた

生粋のジャニヲタが、人生のお勉強をするブログ

【閑話休題】渋谷すばるについて

渋谷すばる」が事務所を退所するので、思いのたけをまとめてみました。
すばる担じゃないのにこんなことを書いてしまって、すばる担の人に失礼な内容だったらごめんなさい。
めっちゃ長いし、自分の考えをまとめただけなので、つたない内容ですみません。


発表があった4月15日から、すばるを見てきた20年間をずっと考えてた。

私はなぜこんなにショックを受けたのか。
たぶん、自担である大倉君がもし「事務所を抜ける」って言い出しても、ここまで傷つかなかったと思う。

ここまで辛いのは、誰でもない「渋谷すばる」だからだと思う。


考えられる理由は2つ。

1つ目は「すばるはメンバーが居なくなる辛さを身をもって経験してるから」
内君がNEWS仙台公演で飲酒し脱退した事件。
あの時、亮ちゃんが仙台から一人で戻って来るのを、メンバーが新大阪まで迎えに来てくれた。
そして亮ちゃんが「自分のせいや」って泣きじゃくるのをメンバーが支えてくれたのね。

ファンもこれからどうなるのか不安やったけど、残されたメンバーは予定通り夏のコンサートも舞台も通常通りやってくれたことでファンも安心できた。
当時、関ジャニは全然売れてなくて力もなかったから、内君をグループに戻したくてもその力が無くてもどかしい思いもして、内君がいつでも戻れるように内君の居場所を開けたまま売れる覚悟を決めて活動し続けてくれた。

そんな彼らの決断を見てたから、グループから誰かが居なくなることがすごく辛くて悲しくて苦しい事なのは、メンバーもファンもわかってるはずなのに、なんでそんな決断をするのかが理解できなかったし、もし誰かが抜けて居なくなる時はグループが解散する時だと思ってた。
だからすばるの決断が信じられなかった。

 


2つ目は「グループの中で1番メンバーに支えられてた人だから」
渋谷すばるといえば、1998年6月26日Mステで「愛してる愛してない」をソロで歌ったのがきっかけで、一夜にしてスターダムにのし上がった人物。
「東のタッキー西のすばる」と呼ばれJr.黄金期を作った人。
当時もちろん私もファンやった。
けど、一躍有名になったせいで、精神のバランスが取れなくなってどん底に落ちて、大阪に戻ってきた過去。
そんな時、昔から大阪で共に頑張っていたヨコやヒナや仲間たちが、同じように東京に出て仕事でボロボロになって戻ってきた姿を見た時「みんな一緒で、一人じゃない」ってすばるが思えたこと。
年下の大倉、安田、丸山の4人でお金を出し合って、4人で1つのたこわさを頼んでビール1杯で何時間でも話せる仲間がいたこと。
だからすばるは笑顔を取り戻せた。


それを実感した出来事がある。
2005年「好きやねん、大阪」の握手会に参加したとき。
2つレーンが分かれてて、その時はすでに大倉担やったから迷わず大倉君がいるレーンに並んだ。
大倉レーンは「渋谷・大倉・村上」の立ち位置で、村上君から渋谷君に向けて握手していく動線

村上くんはテレビとおんなじ笑顔で(笑)、自担にはテンパってワタワタしてるうちに剥がされて、最後すばるの順番になった時。
まっすぐ目を見て、手を握って「…ありがとう」って、優しく言ってくれた。
その瞬間、すばるの今までの歴史を思い出して、今こうしてメンバーと共に立ってる姿に感極まって号泣してしまった。
んで、横山担の友達に電話で「すばるが…すばるが…『ありがとう』、って…あの、すばるが…」って泣きながらめっちゃ言った(笑)
メンバーと一緒にいるときのすばるは、私がJr.黄金期に好きやったすばるとは別人で、あの尖ってたすばるが、あんな優しく手を握って、あんな柔らかい笑顔で、心から「ありがとう」って伝えて微笑んでくれたことに衝撃を受けて、メンバーがそばにいることってすごいな、関ジャニ∞ってすごいな、と思った。

もちろんそのあとも、コンサートでは気分次第やったり、ファンサもしないし、フラフラの歌詞で言葉足らずでもめたり、ソロ活動の態度が悪いって叩かれたりしたけど、そのたびにそんなすばるをメンバーは受け入れて助けて支えてくれたことで、段々と人間として成長していく姿を見てきた。
あの握手会で見たすばるは今でも目に焼き付いてるし、年を重ねるごとに温かみを増していくのは、ひとえに「一緒に夢を追い求める仲間が隣にいたから」やと思う。

4月15日の会見でも一番の思い出は何か聞かれたときに「メンバーと何気ないこと、楽屋でしょうもないことを話したりバカ笑いしている時の顔とか空気とかがいつも絶え間なくあった」って答えたし、あんなに辛い過去もあるのに「楽しいことしかなかった。それは一人じゃなく、ありがたいことに仲間がずっと横にいてくれたんで。誰かがつらそうな時には助け合えたのがグループのいいところで。大阪から一緒に出てきたっていうこともあり、すごく絆が深い仲間ではあるので、つらいというより、助け合えたという、楽しい、いい時間でした。」 って笑顔で言えたのは、仲間が横にいてくれたから。

会見もさ、本来すばる一人で会見してもいいのに、メンバーが一緒についてきて、不器用で言葉足らずな彼が誤解を受けないよう、フォローしてメンバーもコメントして、ファンのために自分の言葉で話してくれた。


だからこそ、すばるの選択が許せなかった。
すばるのために楽器も弾けないメンバーが楽器をやり始めたのに。
すばるの歌声を活かすために、メンバーは楽器を練習しているのに。
すばるがどん底の時に救ってくれたのはメンバーで、グループに所属したことですばるが一番助けられてるのに。
あの決断は仲間への不義理に感じたし裏切られた気がした。
なのに結局すばるの我儘を受け入れるメンバーの姿に『聞き分け良すぎやろ。ほんまにあんたらは、すばるに甘いよな』って思って、そんなメンバーの優しさに泣きながら笑った。


でもあれから3か月が経過して、やすくんの病気のことを知って少しずつ考え方が変わっていきました。
身近なメンバーが病気に侵されてて、手術をするのを見た時に「人間いつ死ぬかわからない」って頭をよぎるのは自然なことやし、その時に残りの人生をどう生きるか考えたのかもしれない。
(※本人しかわからないから断定は控える)
大倉君がラジオで「プロだからと言って人の命を軽率にはしたくない。ファンには申し訳ないけどメンバーのことを優先することもあるかもしれない」って言ったときに、人の考え方や選択をあれこれ言うのはダメな行為だと気づいた。
だからすばるの選択も、最終的にメンバーは受け入れて尊重したんだと思う。


今回、すばるが居なくなるのはライブをメインとしてる彼らにとって大きな損失であり、これをきっかけに一気に人気が凋落していく可能性もめっちゃ高い。
若い後輩がどんどん出てきて、若い子に仕事が流れて、若い子にファンも流れていってる。
今の関ジャニ∞を見てて思うのが、大人になったからか人気が出てきたからかわからないけど、昔のような貪欲さが減ってる気がする。
今回のことがきっかけでメンバーが奮起して、起爆剤になるんじゃないか、と思ってます。

関ジャニ∞はボロボロの身なりでガタガタの道を、みんなで手をつないで「爪痕残すでー!!」って笑いながら進んでいくグループやし、私はそんな彼らの魂が好きでファンになったので。

Jr.時代に各メンバーが挫折を味わったこと。
デビュー直後に内君が抜けたこと。
7人で出来る可能性を探し続けていたこと。
そしてバンドに出会えたこと。
それらの歴史の上に、これからの関ジャニ∞があると思うし、どんなエイトになるかを見届けようと思う。
もし、そこでパフォーマンスの質が落ちて魅力を感じなくなったら、私はファンを辞めるだけやしな。


1998年6月26日から今まで楽しい時間を過ごさせてくれてありがとう。
すばるに出会えたからこそ、知り合えた人たち・支えてくれた友達がたくさんできた。
私は今までの歴史を全部ひっくるめたうえで8人が好きやし、これからも自分が楽しいと思える限り応援していきます。

関ジャニ∞渋谷すばるを愛してます。


2018.07.09