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舞台「文豪とアルケミスト~異端者ノ円舞(ワルツ)~」の感想(R3.2.24追記)

「文豪とアルケミスト~異端者ノ円舞(ワルツ)」の感想

 【前提】
・すみません、ゲームはやってません
・友人が谷佳樹君を応援してたから名前は知ってて、別の友人に誘われ『佳樹君が主演なら』という理由で見に行った
・私は藤崎竜氏の「封神演義」を溺愛してて、同じ演出家さんだったので興味があった
※「ミュージカル封神演義」の感想はこちら
2.5次元は封ミュがデビューなので2.5次元沼はほぼ1年のド新規

 

【感想】
『あ、これ、私の好きが全部詰まってるわ』

 普段冷静沈着なのに親友を助けるためなら真っ先に戦いに行っちゃうとか、もし自分が死んでも親友の負担になりたくないから嘘ついちゃうとか。
 めちゃくちゃ少年漫画やん!泣けるしキュンキュンするやつー。


【ざっと物語の設定】
 文豪達が過去に書いた名作が汚され(=侵蝕され)有碍書(=読めない本)になるから、転生した文豪達が本の中に入って(=潜書して)戦い、元に戻す(=浄化する)という話、らしい。
 ※ゲームやってないので間違ってたらすみません。
 そして今回は白樺派と言われる志賀直哉(谷佳樹君)と武者小路実篤(杉江大志君)の「友情」が描かれたW主演作品でした。


【詳細感想】
 
今回の「文豪とアルケミスト~異端者の円舞(ワルツ)」は第二弾です。前作も予習として見たんだけど…これがまためちゃくちゃ良くてさ。第一弾を見てかなり泣いてしまった。(吉谷さんの演出、ほんと好き)
 第一弾を見たうえで、今回の第二弾を見たからこそ≪活きてくる言葉≫≪活きてくる描写≫が随所にあって、これは第一弾を見て文豪についてある程度の知識を得たうえで見たほうが絶対面白いなって思った。
 ゲームやってたらもっともっと深く楽しめるんだろうな。

<導入部分>
 
最初に志賀直哉武者小路実篤が実際に学生時代に交わしていた手紙が朗読されることで、志賀と武者がどうやって親友になったのか、お互いのことをどう思ってて、どれだけ大切な存在なのかということが観客にわかる演出。
 その後、同じ白樺派有島武郎著「カインの末裔」が侵蝕された(=汚された)と志賀が知った途端、すぐに潜書(=本の中に入って戦うこと)しに行くので、『志賀は仲間想いの人物だ』と観客にも理解できた。
 第一弾を見た人は『前作では潜書したがらなかったあの志賀が、仲間のためならめちゃくちゃやる気満々じゃん!』ってなるし、今作を初めて見た人は『志賀直哉は仲間想いなんだね』って思っただろうね。
 そして、それを導入部分で見せるからこそ、本編の「友情」をテーマにしたストーリーに繋がる導入部分になってました。


<OP>
 志賀と武者の戦闘シーンで、背中がぶつかりあい、一瞬にらみ合いながら互いが戦うシーンがあるんだけど、最後は協力して敵を倒しに行くの。
 あの10秒やそこらで、この物語の全景をざっと見せてるし、吉谷さんの演出は音楽とアンサンブルさんの使い方が本当に秀逸!!
 生身の人間が表現するから躍動感がすごくて、吉谷作品は絶対生で見るべきだなぁと思った。
 ※インフルエンザになって千秋楽行けなかったけどw


<「カインの末裔」が有碍書に>

 小説「カインの末裔」は有島武郎の著書で、裕福で上流階級に生まれた有島が、北海道の極寒の地で貧しく生きる農夫を主役に、人間の生まれ持った罪やキリスト教の信仰心を描いた作品。
 だから、有島が敵(=侵蝕者)に狙われたとき「人は生まれながらにして罪深き生き物」「生きる事とは苦しむこと」等、信仰に基づいたセリフを言ってた。
 『キリスト教では自殺は禁忌だけど、史実の有島は結局自殺しちゃうんだよなぁ』と思いながら見てたら、案の定、自分が死ぬことを前提にした戦い方をしてるの。 

 で、その戦い方を芥川龍之介が指摘するっていうのが重要ポイント!

 詳しく説明すると、芥川龍之介は史実では自殺していて、前作でも「死んでもいい」ってなっちゃうんだけど、太宰治によって救われるのね。
 その芥川龍之介が、史実では自殺している有島に「この戦いに意味を見出すのは生き続けること!」って言った瞬間、有島の表情が一変して「生きよう」とする戦い方に変わるのよ。あのシーンはゾクゾクした!!
 死のうとしていた芥川の言葉だからこそ有島の心に刺さったわけだし、死のうとして助けられた人が、今度は死のうとしてる人を助ける、この第一弾と第二弾の繋がり方!
 ここら辺の細かい描写は、ある程度キリスト教や文豪の史実を知ってて、前作を見てないと気づけない深みのある演出でした。
 転生した今の有島は、今回のカインの末裔戦を経て『生きること』を選んだので、志賀と武者が(史実の有島が自殺した後も)理想郷を探し続けていたっていう事実を知るってのも、転生した意味がきちんと描かれててあったかい気持ちになった。
 「今度は長生きしてみようかな」って言うことが出来てよかったね、有島ぁ(TxT)

 また、 武者&志賀ペアが「どっちの道を選ぶ?」ってなった時、武者が「僕は”志賀と一緒に”こっち」って言ったり、志賀が「有島、萩原を頼んだぞ」って言ったら武者も「萩原、有島を頼んだぞ」って真似っこするの。そういうちょっぴりあざとさも感じる描写によって、武者小路実篤の『自由で純粋な愛おしさ』が全面に表現されてた。それゆえに、後半で武者が狂わされていく姿が活きてくるんだよね。

 

萩原朔太郎武者小路実篤
 朔太郎と武者の会話の中で、朔太郎が「友に裏切られる孤独」について話した時、武者が朔太郎の孤独に共感するシーンがあった。そのシーンがあるから観客は『武者は志賀に裏切られる孤独を抱えているのではないか?』って心の片隅に引っかかりができるの。
 導入部分で志賀と武者が読んでた手紙が、このあともう一度読まれるんだけど、同じ文章なのに聞く側の受け取り方が全く異なって聞こえてくるのは、この二人の会話で武者の心情に対し、引っかかりを作られたからだと思う。その後に繋がる観客の思考を上手く誘導させる会話だなぁって感じた。


<「友情」が有碍書に>
 導入部分で志賀と武者がお互いに宛てた手紙を読んでたのを、今度は2人以外のキャラが同じ手紙を1枚ずつ読んでいく演出。
 手紙の内容では≪志賀と武者は大切な存在≫って言ってるのに、その手紙が1枚ずつ敵に奪われていくたび、武者の中にある志賀との記憶がどんどん消えて行って、武者が手紙の内容と真逆の言葉を志賀に吐くようになるのよ。見ている側も常に表裏なセリフが脳内に入り込んでくるから、武者のぐちゃぐちゃな心の状態と見る側の気持ちもリンクされて混乱した。
 BGMで時計の音を入れることで、過去と今の時間軸を表現しているのも秀逸でした。手紙が奪われるたびキャラへ当たっていたスポットライトが消える=武者の記憶が消える、っていう様子をビジュアルでもきちんと見せてくる演出はさすがだなと思った。

 最後、武者が志賀に対して「志賀」ではなく「君」と呼んだ瞬間、二人以外のキャスト全員が「「僕らは”ずっと一緒”だったね」」って言って、志賀と武者が一緒じゃなくなった瞬間がより克明に表現されてて、とにかくこの一連の演出がむちゃくちゃいいし、言葉では伝えられないくらい素晴らしかった。
 脚本家さんと演出家さんの頭の中を覗いてみたい。

 

<呼び名の違い>(R3.2.24追記)
 「君(きみ)」と「(相手の)名前」を呼び分けることで、お互いの関係性がより深くわかるようになっていた。特に武者が志賀の事を「君」と呼んで、志賀が「…きみ?」って聞き返すところから2人の関係が崩れていく。
その後の場面展開で、芥川龍之介島崎藤村の会話ではお互いが名前では呼ばず「君」と呼ぶことで、二人の不仲を表現していた。

 

<武者の記憶が無くなっていくシーンについて>(R3.2.24追記)
 志賀と武者の書簡が捨てられたとき、武者が一つずつ拾い集めて、有島だけが一緒に拾っていた。そのことで、有島は志賀と武者の関係を忘れず、武者に友情を伝えるシーンに繋がっていた。


自然主義とは>
 島崎藤村が『侵蝕者(=敵)は人の弱みを使うのがうまい。ラスボスは武者の負の感情が生み出した志賀直哉だ』って推測するのは、史実で藤村は父と姉が狂っていく様を見てきたので、明るくて前向きだった常人の武者の思考が狂っていく様を理解し受け入れやすかったからなのかもしれないなと思った。

 白樺派は理想文学を描く作風で、だから武者は作品「友情」の結末を「どちらを失っても前を向いて生きていく」という理想的な内容にしたけど、藤村的には「僕ならそんな結末にはしない。武者小路実篤は『志賀直哉さえいなければ』と思ってたんじゃないか」と言ってて、白樺派自然主義派の作風の違いが明確化されていた。

 配信期間が切れたので曖昧なんですが、藤村は「武者小路実篤は『友情』という作品の中で、作家大宮を志賀をモチーフにして書いたんじゃないか」みたいなことを言ってて、それがこの後の展開で、志賀と武者によってきちんと説明してもらえるんですよー。


坂口安吾志賀直哉
 坂口安吾が志賀に「2人を見てると親近感が湧く。太宰やおださくとは同じ道を辿ってなかったからどこかへ消えてしまった。同じ道を歩んでいたらずっと一緒にいられたのかな」と言った言葉が気になって調べてみた。
 そしたらS22.1.10に織田作之助結核で亡くなり、太宰が自殺したS23.6月頃から安吾鬱病になって薬物中毒になってた。
 安吾からしたら、志賀と武者はずっと離れず隣にいる存在で羨ましいんだろうなぁって感じたし、最後あたりのシーンで、志賀と武者が本の中に閉じ込められたことを朔太郎が嘆いて「せっかく友達が出来たと思ったのに。孤独から抜け出せると思ったのに」って言ったとき、安吾が反応するのも、やはり彼にとって無頼派メンバーは大切な存在で、失いたくなかった友達だったのかな。


<ラスボス戦>
 志賀直哉の「暗夜行路」と武者小路実篤の「友情」が同時に有碍書になっちゃって、同じ時間軸の進行で流れる演出。
 『あ、これ、封神演義の四聖戦で見た演出方法だ』って思った。
 他にも扇子や布の使い方とか、封ミュ好きは似たところがあるので見比べて欲しい。

 「囚われた武者を助けに行く志賀」の流れが、第一弾の「囚われた芥川を助けに行く太宰」と全く一緒で、第一弾を見てる人は『あ、この流れ』って気づく展開でした。あと、芥川は第一弾で侵蝕されたからこそ、武者が志賀との記憶を無くし始めてる異変にいち早く気づけたんだろうね。

 後半は、武者と志賀の二人がぶつかり合いながら、本音をぶつけ合い、お互いを理解しながら、支えあって理想に向かって生きていく流れが丁寧に描かれていました。
 武者が自分の孤独が生み出した志賀の幻影と戦ってる時に「大切な約束を忘れちゃだめだ」って言うんだけど、これが冒頭にあったお笑いシーンの「ツーリングに行く約束」に繋がってて、しかも最後の最後にツーリングで全ての物語を回収してくるあたり、これ脚本家さん凄すぎでしょ、自転車の存在感在りすぎでしょ、って思った。
 ここら辺は実際に見ないと表現が難しいんだけど、ここまで自転車を効果的に使った作品は初めて見たよ!(笑)

 武者について考察すると、冒頭部分で、明るくて前向きで、自由で元気で。笑顔いっぱいのキラキラ太陽みたいな可愛い存在として描かれていたので、志賀との記憶が少しずつ消えていくことに戸惑い混乱し、どんどん闇に引きずられて苦しむ姿のギャップにどんどん惹きつけられた。しかも、理性が少しでも残っている間に、自分でケリをつけに行く決心をし、もし自分が死んでも志賀には負担にならないようウソをつく姿に、武者小路実篤の”真の強さ”を感じた。小説「友情」の野島(=武者がモチーフ)も、自分の好きな人が親友と結ばれても最後は強く生きていく結末で、こんな強い武者小路実篤だから「友情」はあの結末になったんだな、と妙に納得した。

 次に、志賀について。小説「友情」に出てくる大宮は、誰が見ても冷静沈着で物事を達観して見ているうえ、親友に好きな人が出来たら全力で応援するし、でも最後は親友の好きな人を愛してしまい、親友はこの出来事をきっかけに絶対強くなるという確信を持ったうえで愛する人を選ぶキャラクターなの。
 記憶がどんどん消えて行って混乱した武者は志賀に対し「『友情』という小説で、志賀への不信感を大宮というキャラとして登場させた」って言っちゃうし、藤村も芥川との会話で「大宮は志賀がモチーフだ」って同じことを言ってた。(配信終わったのでうろ覚え)
 だけど、武者の前での志賀は、どんくさくてすぐ頭ぶつけるし、ダサくてカッコ悪いことばっかりやるし、武者にすぐ「ダサいよ、それ」って突っ込まれるし、大宮みたいにかっこいいキャラじゃない。

 だから武者が書いた小説「友情」の大宮は志賀がモチーフじゃないってのは見てる側にもわかるんだけど、決定的なのは武者を助けに行く志賀がのセリフ。
「大宮は、親友と愛する人、どちらかを選ばないといけないときに”愛する人”を選んだ。でも俺は、”愛する親友”、両方選ぶ!」って言って武者を助けに行くの。
 そのセリフで大宮と志賀は全く別物だと断言されてた。だから志賀は孤独の不安があった武者を助けだすことが出来たし、武者も孤独じゃないって気づいて志賀との記憶を取り戻すんだよ。めっちゃいい話・・・

 武者を助け出そうとする時の志賀の迫力が凄すぎて凄すぎて。佳樹君ってこんな感情溢れる演技をする方なんだと思った。殺陣もすんごいし、満身創痍なのに武者を助けたい一心で戦い、助けたい人がいる者の圧倒的強さやオーラが痛いぐらい伝わって来た。胸が締め付けられる思いで、見ながらとにかくずっと泣いてた。
 這いつくばりながら、ようやく武者の元にたどり着くのに、武者は志賀のことを思い出せないんだよ。辛い、辛すぎる。

 だから、志賀が渾身の思いを込めて武者に「友情を思い出せ!」って叫び声をあげ、それがきっかけでようやく志賀のことを武者が思い出して、そこから二人で敵と戦う流れ。二人の掛け合いも殺陣もばっちりハマってて、これぞ「志賀と武者だ!!」って感じでめちゃくちゃスカッとした。
 ちょっと細かい点なんですが、志賀が「友情を思い出せ!」って叫ぶところ、作品としての「友情」と志賀と武者の関係性の「友情」のダブルミーニングで、そのうえ、この戦いの裏で「暗夜行路」と「友情」を同時に潜書してる時間軸ってのが、何度も言うけど脚本家さんも演出家さんも凄すぎてたまんない。
 構成が上手すぎやしませんか?

 そして、最後、お互いが本音で気持ちを伝え合い殴り合うシーン。少年ジャ○プでもここまでベタな展開やらないってくらいの青春シーンでした。
 武者のためなら身を犠牲にしてでも敵に突っ込みにいくのに、ヘタレで殴られるのを嫌がる志賀がやっぱ可愛いし、武者の前でだけ見せる志賀のそういうワガママでヘタレでどんくさい部分がギャップ萌え。
 志賀は作家になることを家族に理解してもらえず反対され、父と確執がある家庭環境におかれてて。だから武者の存在は学生時代からの親友で家族のような存在だったからこそ、あそこまで自分の命を懸けて武者を助けに行ったんだと思う。

 そして武者は志賀の強い想いで孤独から抜け出せて志賀との記憶を取り戻し、「二人だからこそ強くなれるし、互いが居るから戦える。二人で理想郷を目指そう」っていう、最高に感極まるシーンで流れるBGMのタイミングが、確実に泣かせに来てる。
 ただ、今度はその理想郷へ有島も入れてあげて、ってちょっと思った(笑)

 

<浄化後>
 文字が元の場所に戻ろうする爆音は、生で聞くとめちゃくちゃ大音量で迫力が凄くて、坂口安吾の2倍ぐらいの爆音でした(笑)
 志賀と武者が戻ってきた後、白樺派3人がわちゃわちゃするシーンがあるんだけど、もうそこが、かわいすぎてかわいすぎてかわいすぎてかわいすぎて…言葉にできないくらいかわいすぎた!!白樺派サイコーかよ!!
 しかもその後に武者が「志賀がいれば、もうそこが理想郷かもしれないね」とか言っちゃうし、照れた志賀が焦って周りに「こっち見るな、あっち向いとけ」とか言っちゃうし、最後は自転車を二人乗りして理想郷へ向かうオチが最高に明るくて青春で、見終わった後の爽快感でまた胸キュン泣きポイントなの、どうしてくれようか。泣いちゃうから、助けてほしい。
 ただ、自転車は2人乗りなので、乗れずに追いかける有島くん。…かわいすぎる。

 これほどまでに<心を浄化された作品>に生まれて初めて出会いました。
 普段、辛い事やしんどい事ばかりで心が凝り固まって動かなくなってたのを、優しく溶かしてくれた作品だったよ。
 見終わった後、胸の奥が優しい気持ちになって、心地よくなって、あったかい気持ちがじんわり残った。

 この作品に出会えてよかった。
 心の底からそう感じました。

 感謝感謝圧倒的感謝(第一弾ネタ)


<キャスト挨拶>
 友達から「谷佳樹君は平野良君の後輩で可愛がって貰ってる」って聞いてたので、前作で平野良君が主役を演じた作品を、今度は後輩である自分が演じるのって相当なプレッシャーだっただろうなと思いながら挨拶を聞きました。
 佳樹君は挨拶の時も泣いてたし、佳樹君も「劇中にある『もう一歩、どんなに苦しい時にも、もう一歩。一番大事な時にこそもう一歩』という言葉に支えられた。W主演で隣に杉江大志君がいたから頑張れた」みたいなことを言ってて、コメントを聞きながらまた泣いた。

 最後に武器を置いてはけるとき、志賀と武者の武器はちゃんとクロスしてお互いが重なり合ってるんだよ。もうその表現にグッとくるし、いつも舞台終わりに佳樹君と杉江君がハイタッチしてはけるときも、最後の最後にやったハイタッチが、スピードも強さも手の位置もシンクロしたみたいに綺麗に二人が揃ってて最高だった。

 もちろん志賀と武者の白樺派の二人は大好きで最高なんだけど、佳樹君と杉江君が支えあいながらこの作品を作って来たからこそ、見終わった後、あったかくて優しい気持ちになれる、心の響く作品に仕上がったんだなぁって感じて、感動してまた泣いた。
 きっとお二人のお人柄も素敵なんだろうね。


 とにかくめちゃくちゃいい作品だったので、私は全力でこのシリーズを推していきます!


最後に

「サブタイトルの『円舞(ワルツ)』って、一人じゃワルツは踊れないんだよ」っていうコメントを見て

・・・天に召されました。

 

 ※ゲームやってないし配信期間終わっちゃったので、思い込みしてるところもあると思うし、おかしい点があればこそっと指摘していただけるとありがたいです。